黄砂は暗示だ
今日は連休の狭間だが、民間会社の人々は多くの方が大型連休なのだろう。
砂丘もこどもの国も大賑わいだ。
八重桜もご覧の通り。
ちょっとついでに、我が家の牡丹。
東北地方のサクラ開花が次々と報される。
仙台、三春、角館、弘前などさくら名所が目白押しだ。
函館も五稜郭も開花した。行ったことのあるところはイメージがパッと浮かぶ。
砂丘の賑わいも、ひどい黄砂で隠蔽されてしまった。
眼や呼吸器の弱い人には辛いかも知れない。
黄砂そのものは幹質だろうが、窒素酸化物やその他のウイルスなども
くっついて飛来するかも知れない。
黄砂は年々ひどくなる傾向が顕著だ。
もしも中国原発が事故を起こしたら、ひとたまりもない。
我が国のみならず、世界的に原発は全廃への道をたどるべきだろう。
人のやっている事に完璧など有り得ない。
だから核というじゅう縛から逃れる手立てはただひとつだろう。
思い起こせば中曽根政権の頃だったのではないだろうか。
それは核平和利用を強力に推進することが国是となった時である。
一部の人からは、唯一の被爆国日本の取る道として是非が云々されたが、
時の流れに逆らうことが出来なかった。
政府系の機関は、躍起になって核の安全を宣伝してきた。
使用済み燃料の処理についても同様である。
現時点では、隠蔽されて発電コストに加味されていないが、
やがて次々と寿命を迎える原発の処理とその費用は、
国民が背負わなくてはならない。
原爆は当然ながら、核そのものが悪魔の使者と思える今日この頃である。
福島原発は直接的には東電の責任だが、事の起こりからすると
国の責任は重い。
経済発展を支える原発が、ひとたび事故を起こすと取り返しのつかないことになる。
つまり経済発展とはなんぞやと言う疑問が湧く。
by tomiot3 | 2011-05-02 21:43 | 自然・環境・緑・災害 | Trackback | Comments(0)