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合唱されど合唱

去る21日(日)梨花ホールはマル一日が合唱が鳴り響いた。
鳥取県合唱フェスティバル&コンクール(県合唱連盟主催)である。
部門が中学、高校、大学、一般とあった。
それにフェスティバルとして少年少女合唱の取り組みは伝統となってきた。
合唱と一口に言っても、多種多様で部門や、
団体でのキャラクターは大変な違いである。

中学部門は私がリードしていた頃、大変力を入れた部門であるが、
各学校というか、地域の教育行政鏡のような存在で、
そのことが如実に反映される部門である。
ちなみに我が県では、クラブでなく選択音楽つまり授業の一環として、
合唱が行われ、出場してくる団体が未だに多数を占めていた。
これはこれで大いに評価する面もあるが、
やはり指導の徹底や練習量に限界があるのだろう、
だからレベル向上には困難性が見えた。
本当のことを申せば、なんと申しても指導者の向上につきる。
参加校:7校

高校の部門では、かねてより向上の兆しが見えていたが、
各校とも涙ぐましい努力の跡がうかがえて、大変嬉しかった。
指導者の合唱への取り組み姿勢が想像できた。
この高校部門の進歩は、荒廃の中学部門に影響を与えるであろうし、
後の大学や一般への合唱人補給の要となるであろう。
参加校:7校

大学部門は全国的に退潮の一途をたどる傾向が以前からうかがえる。
そうした中にあって、鳥取大学の踏ん張りはかねてより評価していた。
だが競争のゆったりした環境、加えて保守的な志向傾向が、
一番の障壁かも知れない。
参加団体:2

一般部門は合唱仕上げの世代として、
その県の合唱レベルの最終指標になるところである。
鳥取県合唱連盟が創立されたのが、1962年(昭和37年)。
この時の創設者諸氏の強い意向で発足した混声合唱団が
今の鳥取市民合唱団である。
だから連盟と同じ歴史を歩んできた訳だ。
この半世紀の間、浮き沈みを経験しながら、或いは合唱機運の
変化に曝されながら、兎にも角にも踏ん張ってきた歴史の重みがある。
今年の場合、県内合唱を音楽として捉えられる数少ない演奏であった。
好むと好まざるにかかわらず、その期待は重くのしかかるであろう。

いわゆるアマチュア合唱であるが、
「ひとたびステージに立てば、アマもプロもない」
これは我が国合唱界の巨人であった高田三郎氏が
市民合唱団に贈った言葉である。

少年少女合唱も相変わらず頑張っている。
これも指導者有ってのことであって、感謝の言葉を贈りたい。
鳥取、米子、境港二団体が存在するが、
倉吉から消えて久しい。さびしいな!
合唱されど合唱_e0166734_21235924.jpg

山陰少年少女合唱団リトルフェニックス

人の声程美しいものは無い。
合唱の素晴らしさをひとたび体験した人は人生の歓びを知る。
だが、真の合唱に触れた人は少ない。
ホール中に響くハーモニーは背筋をぞくぞくさせる。






 

by tomiot3 | 2011-08-29 21:26 | 音楽よもやま | Trackback | Comments(0)