残照 鳥取市民合唱団 讃歌
この度の50周年記念演奏会に当たり、光を当てなければならないことがある。
それは団長の踏ん張りもさることながら、
マネージャーをはじめ各タッフが役割を果たしたことだろう。
そしてパートリーダーが各パートをまとめ、パート間の競争意識まで高まったのではと
想像される。
合唱の基本は声づくり、これには指揮者は勿論だがヴォイストレーナーの存在
無くして語れない。
この度の演奏を聴くにつけ、経験者として実によく見えた光る部分であった。
座談会を企画されたマネージャーの皆さん
大石正人、中野葉子、金谷昌美の各氏の有り様を拝見して、
今年は稔りが大きいぞと予感した。
ことに大石さんは団経験の浅い転勤族の方だが、そのリーダーシップと
実行力、誠実さがひしひしと伝わる好人物だった。
紛れもなく大人の団になったと実感した。
己の経験からしても若手と転勤族に団のパワー源を貰ったものだ。
混声合唱はスッタフ陣も混成になるところが特徴で男性と女性の特長が生かされる。
プログラム等の印刷物のデザインを20年間に亘って担当して下さった
徳持耕一郎さんにも格別の感謝を申し上げよう。
優れた美的感覚で美しいパンフを作って下さった。
中国コンクールなどでも鳥取県のパンフが一番良かったと思っていた。
8月の八ヶ岳「スイングする鉄筋彫刻」展2012は是非訪問したいと計画している。
それに加えこの度のプログラムは編集構成が垢抜けていた。
細やかな配慮が随所に伺えて、お客さんの多くの方は
隅から隅までご覧になったのでは無かろうか。
第一と第二ステージを指揮された
常任指揮者の竹田篤司さんの力を見逃す訳にはいかないだろう。
勿論第三ステージの日常的指導はこの方の肩に掛かっていただろうから、
その貢献たるや並大抵では無い。
元々トロンボーンの名プレイヤーではあるが、
ブラスであれ合唱であれ、音楽共通語が有る訳だ。
相当な研究を重ね、合唱の神髄を感じられたのでは無かろうか。
そこには合唱団の存在があったればこそ、お互いの切磋琢磨が作用したことだろう。
さらに忘れてはならないのは、ピアニストであろう。
第一と第二ステージの大広晴美さん、第三ステージの上川佳美さん。
合唱そのものがディナーミックと多彩な音色を売り物にする音楽である。
従ってそこにおけるピアニストは単なる伴奏者で在ってはならない。
それは合唱と指揮者とのトリオである。
たとえピアノが上手く弾けてもこの感覚を身につけているか否かで値打ちが決まる。
テクニックと併せて最も大切な部分だと思っている。
こうしたことへの道のりは険しいが、その道を着実に上っていらっしゃることが窺えた。
ことに「光と風と波と」はオーケストラを意識して書かれている。
だからオーケストラ的音色表現が随所に求められる。
そのうえ振幅の大きなダイナミズムが求められる難曲である。
初演の時のピアニスト選択の苦労を知っているだけに大いなる共感を得る要素なのだ。
小林先生との終演後の対話の一つ。
ピアノ演奏はどうでしたか ややあって、良かったよ、よく弾いていたよ!あれでいいよ。
合格点だ!
さて50年後の100周年という話題、
これはこれで結構、目標を遠くに見据え、目を凝らすことは大切だが、
その上でもっと近くにフォーカシングして、着実でひたすらな道を歩んで行く。
このよな事は僕が言わなくたってお分かりだろう。
この度の「光と風と波と」を聴いてさらに強い思いにかられた。
この貴重な資産を眠らせてはいけない。
ただ全曲演奏ともなると大変なパワーが求められる。
様々な工夫が求められる。
その一つ、分曲して取り上げて行く事は可能では無いか。、
つまり四曲中の一曲づつだけでも再々取り上げて行くことで
継承し、時が来れば全曲演奏をすることは可能では無いだろうか。
大曲でもあり名曲でもある「光と風と波と」を陰らさないで欲しい。
砂丘と日本海とそこに人々の営みを加えた一大風物詩、
これは単なるふるさと讃歌ではない、超ふるさと讃歌である。
近くドイツに帰国されるシュルツ・ミヒャエルさんのご家族。
ご両親もいらした。
お元気で お幸せに!!
誇りを持ち 奢らず 精進 合唱の王道を歩もう!
by tomiot3 | 2012-07-10 21:00 | 音楽よもやま | Trackback | Comments(0)