米子へ 友の慰霊
合唱と音楽で懇意の人たちは沢山いらっしゃる。
米子の仲間、池田さん。
運悪く鳥取で交通事故に遭い、瀕死の重傷をおいながら、
克服して一旦回復したと聞いていたのだが。
去る7月19日亡くなられた。
事故は昨年の6月24日だったと思うが、約1年余りでとうとうの結果になってしまった。
私が16年間県理事長を務めた間も、ほとんどを副理事長で補佐してくれた。
山陰放送少年少女の育ての親で有り、山陰放送が合唱団を手放したあとも、
山陰リトルフェニックス少年少女合唱団と改名して、存続を図り、
むしろ発展途上にまで至らしめた功績者であった。
今日は鳥取市少年少女合唱団の元団長を永く務めた財田さんと共に、
遅ればせながら、お悔やみと残された奥様を元気づけに米子に走った。
お宅に訪問して驚愕した。
池田さんは革工芸が趣味で教室を開いていることは知っていた。
残された作品を見せて頂いた訳だが、その精緻な革工芸に魅せられると共に、
池田さん、凄いじゃ無いですか。と言ってしまった。
見る角度と光線の方向によって、色彩が変化する。
たたずまいも池田さんの趣味性の良さが随所に拝見できた。
国民文化祭の合唱祭ではプロデューサ(山陰放送本職)役を熟して戴いたことが想い出される。
穏やかな人柄ながら、芯はしっかりと強い方だった。
奥様のバッグや財布は全部池田さんの作品、お宅のスリッパも革工芸作品。
お祝い等の使い物に沢山つくられたとのこと。
作品展で売られるにしても材料費回収程度しか受け取られなかったそうだ。
話は尽きず、2時間余りがあっと言う間に過ぎ去った。
お悔やみと言うよりも、人の生きる道のひとつの典型を教わった感が強かった。
今もその精神は奥様が受け止められて居るようだ。
毎日食される同じ食事を仏壇に供えられるお気持ちはいかばかりか。
残念なのは30名ほどのお弟子さんで、教室を開いてる方が居ないと言うことだ。
お別れしたのは、とうに午後1時を回っていた。
お腹がすいた。
洋食屋フーケに、何年ぶりか。
「お茶屋風オムライス」お茶屋風とは?名前に釣られて決めた。
そうか、イングリッシュティーに似せて、上段に海老フライサラダ、下段にオムライスか。
オムライスのソースが良かった。
帰途は晴天の下、大山北壁側、孝霊山等の連なりを正面に、
米子東インターからは右手に、左手はこれも青い美保湾、絶景かな。
座年ながらカメラは操作できない。
途中、目に付いたのが風力発電の多さ、こんなに有ったっけ。
そうか今年初めての西行き、世の中はどんどん変わっているんだ。
ようやく琴浦町の直売センターで大山が撮れた。
でもイマイチだ。雲もかかってきた。
by tomiot3 | 2013-09-27 20:56 | よもやま・つれづれ | Trackback | Comments(0)