鳥取市少年少女合唱団35周年定演考
創立35周年になるんだ。
客演指揮の清原浩斗氏との出合いが実に感慨深く想い出される。
智頭急行が1994年(平成6年)12月に開業し、直後の翌年1995年1月17日には、
阪神淡路大震災で不通となり、今時点記憶が定かで無いが
復旧後の開通を記念して、鳥取県が関西地区の様々な団体を県内に招待した。
そのⅡ度目くらいだから、おそらく1997年頃だろうか、関西の合唱関係者を鳥取県にお招きした。
その時、私がお相手したのだが、当時春日丘高校音学部の先生だった清原浩斗氏と初めての対面をした。
ご馳走になったお礼にわらべ館で即席のオペレッタを演じて下さり、ヤンヤの喝采だった。
以来、氏の才能と情熱に惚れ込み、私自身も大阪まで出向いたり、鳥取には指導者として幾度もお招きした。
そして、少年少女合唱団の指導もお願いし、それが今日につながっている。
当初は控え目にお願いしていたが、やがて当団から積極的なアプローチが在るようになった。
極端ないい方だが、指導を受けて30分もすれば合唱が変わったのである。
開演前、清原浩斗氏の楽屋を訪れた。
何年ぶりかなー。ヤーヤー。
短い時間だったが、ポンポン話題に事欠かなかった。
さて、今日の定演のこと、お客の入りも好調、子どもたちの合唱も相変わらず好調を持続している。
第一部 とっとりのうた
おぼろ月夜はちょっと平凡に歌い過ぎたかな。
放哉慕情、荒木又右衛門のうた、初めて聴いた。
又右衛門には寸劇入りでなかなかの芸達者なお子さんも居るんだ。
新倉健氏の編曲による貝殻節はさすがに良い編曲だ。
ことにピアノの扱いもおしゃれに聞こえる。
5年生以上少年少女達、やはり年輪を重ねればという思いがした。
この辺りになると年々のメンバー交代のこともあり、一概には言えないが、安定感を感じさせる。
私は東北地方民謡が気に入った。
清原先生とシャローム!と楽しいステージ
このステージは、大人のステージの感覚だなー。
清原氏の指揮は細やかそうでなくてツボをちゃんと押さえている。
だから、合唱している団員の安心感が実によく伝わってくる。
このステージは良かった。
このステージの指導は勿論清原イズムが脈々。
合唱はもとより、動き、演技すべて短時間の指導ながら、のみ込めているようだ。
このステージで注目したのは、賛助出演のアラマ・ジュバデ氏。
いわゆるアフリカ音楽の強烈な土俗性とあふれ出るようなリズムの醍醐味だった。
なんと今、倉吉市在住と言うから驚いた。
ライオンキングとのマッチング、これは特筆ものだった。
だが、少年賞との打ち上げなどもあり、終演後はそそくさと会場を後にした。
このあと家事の予定が有ったりしたもので少々せいていた。
清原一家は音楽一家、ファミリーコンサートが出来てしまう。
奥方はソプラノ、ご長男はテノール、長女、次女はヴァイオリン。
そうそう長女の方には、国民文化祭合唱祭では大坂音大中心のオーケストラ編成をして頂き、
コンマス(ミストレル)までやって戴いた。ありがとうございました!
勿論、合唱指導のまとめを斗先生にお願いした。
想い出す。合唱祭は大成功だった。
その先生曰く(楽屋にて)
長女の結婚式をノートルダムでやられた。
音楽一家がパリに集結した訳だ。
その噂がモンサン・ミシェルに伝わり、礼拝堂で演奏会をやって欲しいの要請。勿論受けられた。
ここのオルガン修復がなったのでと言うことも有ったそうな。
1時間半の演奏会、礼拝堂は600人くらいで埋まったという。
日本人のファミリーがモンサン・ミシェルでなど話題性十分。
嘘のような本当の話。
今日の演奏会に限らずだが、もう一つかなと思うことがある。
ステージの出入り、立ち居振る舞い、が気になる。
今日も何点か有った。ここはこう処理した方が・・・
アマチュア、しかも子どもたちだから、むしろ可愛いと言えばそれまでだが。
ミュージカルは定番になっているが、私自身はミュージカルをすることのメリットって何だろう。と考える。
自発性、創造力、独唱力、組織力、色々有るんだろう。
だが、ミュージカル以外のステージで感じたことがある。
子どもたちがステージ上で指示されるまでもなく、自主的に動いても良い、普段からの指導は?
還りの会館廊下で小さな娘さんを伴ったお母さんを追い越した。
“・・・ちゃん、あんたも合唱団に入って歌うといいね”
by tomiot3 | 2015-04-04 21:13 | 音楽よもやま | Trackback | Comments(0)