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原爆の子 を観た

原爆映画と言えば「原爆の子」と「ひろしま」
観ては居るが、記憶が薄れている。
鳥取コミュニティーシネマ主催、市民会館で上映会が有った。

会場を勘違いしていた。
パレットとばかり思い込んでいたので、県庁に駐めて10数分歩き、間に合ったと思ったら、
会場は市民会館だった。
引き返し、既に先程始まりましたという会場に入る。
座った途端汗が噴き出した。
モノクロームの渋い画面、子のべっぴんさんは誰だろう?乙羽信子さんだ。
モノクロにも直ぐ馴れた。
「原爆の子」は1952年の新藤兼人監督作品、
もうこの時すでに新藤兼人監督と乙羽信子さんは、コンビだったんだ。
ずーっと以前、音羽信子さん自身が語っていた。
ロケ先で新藤監督の泊まり先に押しかけたと。
新藤監督曰く、二人は性愛の関係だったと。
結局新藤監督は先妻と別れて、音羽さんと生涯を共にした。
新藤監督は、“音羽さん”と呼んでいた。

出てくる登場人物、みなさん懐かしくも若かりし頃ではないか。
滝沢修、北林谷栄、宇野重吉、奈良岡朋子、下元勉、細川ちか子、清水将夫、
斉藤美和、東野英治郎、殿山泰司、多々良純、大滝秀治、芦田伸介、原ひさ子、佐々木すみ江、
伊藤隆、寺島雄作、英百合子、広島現地の子どもたち。
いやー、その後の盟友たちがわんさかだ。
筋書きは広島と瀬戸内海の島が舞台。
8月15日8時15分前の普段の生活から、一瞬にして地獄と化す。
音は信子は幼稚園の先生。生き残った教え子を尋ね歩き、
やはり被爆者のおじいちゃんの死をもって収容所(孤児院)から引き取って、
島に連れ帰ると言う場面で終わる。
1952年当時、あのようなロケ地が有ったんだろうか、まだ復興もしていなかったんだろうか、
橋の欄干なども壊れたまま、街もがれき状態、そんなことも考えながら観た。
バックに流れる音楽も気にして観た。
伊福部昭の音楽。
映画っていいなー。
説得力が違う。
暗くてどの程度の観客か分からないが、場面に反応して、時折どよめきが起こる。
大画面で共有できているシーンだ。
徹底したヒューマン映画、反原爆映画としての価値は偉大なものが有る。
終わって場内が明るくなると、年配者、高齢者がすごく多い。
この様な映画は、子どもたちと父母の層が家族で観てくれたら。
選挙権を付与された18歳以上というか、中・高校生に観て貰いたいものだ。
後援に公共団体と教育委員会がは要っているが、後援の意味を発揮してもらえませんかねー。

久しぶりに感動できる映画を観た。
外は梅雨明けの猛暑だった。
文化会館前のケヤキ緑陰が少しの間、いやしてくれた。
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by tomiot3 | 2016-07-18 20:42 | 文化・芸術 | Trackback | Comments(0)