高尚な歌のコンサート 咏
鳥取の生んだ名バリトン谷口伸・アニー夫妻のコンサートが行われた。
咏-UTAU- と題されては居るが、れっきとしたクラシック・コンサートだ。
既に鳥取での一連のコンサートは2002年以来8回目だという。へー!
明るく濁りのないバリトンは誰が聞いても、おそらくいい声だなー!うまいなー!と即共感する。
あちら(ドイツ)の市立歌劇場で堂々と活躍のことも十分納得できる。
おまけにアニーさんという、素敵なリリックなソプラノまで伴侶にしてしまって、将に鬼に金棒?
そのステージが心待ちになるほどである。
今日の暑さは、車かホールに居るのが一番、失礼ながら避暑がてらの鑑賞だ。
鳥取市民会館、補助席まで出て居るではないか。
第一部 ドイツ物を少々
タイトルからして、伸さん独特のユーモアないしはアイロニーか。
なかなか渋いドイツリートが並んでいる。
アニーさんが先ずはシューマンの「献呈」で幕を開けた。
透き通る様な麗しき献呈。これ位ならば聴いたことの有る方は居るだろう。
メンデルスゾーンの「歌の翼」も同様。
お客さんの表情を観察してしまう。悪い癖。
おそらく普段ほとんど歌曲は聴く機会が無いと思うので、どのような反応をしめされるかついつい。
歌詞の字幕が出るので、妻などは分かりやすかったと言っていたが。
貧弱な知識が有るので題名のドイツ語表記も一応は読む余裕がある。
ただ歌詞など分からなくとも破綻など有り得ない美声と音楽に酔いしれればいいさ。
伸さんのフーゴー・ヴォルフに至っては、音楽の迫力と表現でほとんどカバーしてくれる。
シューマンのDuett(二重唱曲集)、題名だけで十分に伝わる精妙な重唱、
的確な表現、シューマンの音楽の詩的な素晴らしさがひたひたと迫ってきた。
第一部のあと20分のPAUSE、友人が言った。ピアノはどうだ?
調律はともかく、ピアニストが違うんじゃない、と答えた。
これも独特な言い回し、オペラ抜きとはつまりオペレッタをやります代々云う事。
カールマン、ヨハンシュトラウス二世、レハールなどは皆さんのもそれなりに耳に馴染みが要だろうか。
ところがグリュンヘルト、ミレッカー辺りになるととんと耳馴染みが悪くなる。
しかしここがオペレッタの聴きどころ、シリアスさが少し抜けているので、聴いて振りを見ていれば楽しさが伝わってくる。
第二部はなんと言っても「ヴィリアの歌」に尽きる。
プラハのメリーウイドウもやったこともあるが、沢山見まくって、聴きまくっている。
録音ものでもよく聴いてきた。
アニーさんの「ヴィリアの歌」に胸が熱くなった。
そして「唇は語らずとも」はエンディングに相応しいデュエットだった。
アンコール
武満徹「死んだ男の残したものは」独唱、重唱で歌われ、アニーさんの目頭が熱くなられたようだった。
この曲はベトナム戦争の最中、谷川俊太郎の詩に曲が付けられた者で、言わば反戦歌である。
友竹政則(1931年10月9日-1993年3月23日)によって初演された。
その後、混声合唱曲にも編曲されている。
友竹さんは,NHKの歌のおじさんで顔なじみだった。
もう1曲、威勢良くメリーウイドウから「乾杯の歌」万雷の拍手で終わった。
私がお世話した方は満足して下さっただろうか。
熱気溢れるコンサート、外の暑さよりはずっとずっといいさ。
外に一歩出ると、むっときた。
by tomiot3 | 2016-07-31 22:20 | 音楽よもやま | Trackback | Comments(0)