トト姉ちゃん いよいよ明日最終回

トト姉ちゃん 
いよいよ明日が最終回
トトねーちゃんの実話モデルになっている「暮らしの手帖」の編集者大橋鎮子と編集者金森安治、戦争を体験し、敗戦後の日本で何を成すべきかで「暮らしの手帖」を立ち上げた。

ドラマは、終戦前後の扱いは、意外とさらっとしていて、反戦の匂いは希薄だった。
そうした面で批判も寄せられていたようだ。NHKの今の姿勢を反映していると思えた。
しかし、注意深く見ていると、唐沢寿明演ずる金山と高畑充希演ずる小橋常子の会話なりを注意深く見ていると、必ずしもそうではないことが分かる。
第152話では金山は取材で広島に出かけた帰りの東京駅で倒れた。
病院での下り、花山が常子に“戦時中に積極的に戦争に関与した者として、戦争を知らずに生まれ育ったこれからの世代のために戦時中の記録を残しておきたい”
また最終週には、“戦争により豊かな暮らしを奪われた、戦争を二度としてはならない”を幾度か述べて居る。
ドラマでも読者から寄せられた戦時中の記録の特集号で100万部を超えるという快挙を果たす。史実上では暮らしの手帖96号特集「戦争中の暮らしの記録」となっている。
だが時期的にはドラマが1978年(昭和53年)であるのに対し史実では1973年(昭和48年)となっている。

昨日は花山家に口述筆記に訪れた常子に対して、花山は“常子さん、ありがとう”とお礼を述べ、実質的な別れをする。
玄関で妻に支えられながら、玄関戸が閉まるまで手を降る金山、玄関を出た後、傘をさしてしばし佇む常子、上空からの撮影、ちらつく雪が傘に白くうっすらと貯まって居る。
これはかなりの時間経過を意味し、去りがたかった常子の心情を表現していた。

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暮らしの手帖も初代金森氏の後、編集者が複数代わっている。
だから戦争への扱いもこの間、変遷があるのは当然、2007年以降は松浦弥太郎氏を編集長に迎えたが、2015年澤田康彦氏に代わった。
松浦氏時代は政治色が薄くなり、澤田氏時代になってからは政治色を忌避する姿勢に変更があったようだ。
澤田氏のスタンスは「「だまされない、賢い生活者であるための雑誌をつくる」だった。
松浦氏にしろ、澤田氏にしろ時代の背景の影響は蒸しできなかっただろうが、争う姿勢というものも大切にして欲しい。
今「暮らしの手帖」編集部には、政治色が強すぎるという批判が寄せられているそうだ。
私はむしろ松浦氏時代は、初代金森氏のある意味での反戦色が失せて、そのことはむしろ賢い読者になることを忌避していたのかも知れないと感じた。
だから、ふたたびその様な批判を浴びること自体、正しい方向だと思う。
なぜ政治的要素があってはいけないのか、生活と政治は切り離せないと云う事に対して、どの様に説明がつくのかむしろ問いたい。
少なくとも堕民政策の片棒は担がないで欲しい。
libedoorニュース 参照あれ。

わが家では、朝ドラは毎日、都合3回乃至4回も観る。
妻はハンカチが離せない。
妻は目薬を朝昼晩とさすのだが、今朝、涙が出ちゃったので、目薬が流れちゃう。
笑っちゃった。


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by tomiot3 | 2016-09-30 21:37 | よもやま・つれづれ | Trackback | Comments(0)

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