早々のお熱

新年そうそうにお熱が出ちゃいました。
昨夕ごろから背中がゾクッとする。
やってきたかな、この感じは微熱があることの信号だ。
図ってみれば36.平熱が35.7土だからやや高い。
深夜が近づくに従ってやや上昇して36.7℃。
水を再々口にして暖かくして横着を決め込め込むのが我が流儀。
今朝になるとそれが聴いてきた。
念のため一日中横になって過ごした。

時を無駄に過ごしながら、過去を振り返る。
遠近のある過去78年間を走馬燈のように想い出す。
苦い思いもあれば、嬉しいことも有る訳だが、
じいちゃん、ばあちゃんの印象、没落しゆく旧家の誇りと現実を
幼心で観察できたことは、今にして思えば、己の精神生活に大きな影響を与えたのではと思う。
一言で言い表せない苦しかった戦中戦後の暮らし、疎開という経験は、これまた得がたい経験であった。
その様な回想にふけりながら、明日から、また命ある限り、如何にして活きるか。
たった一度限りの人生を与えられた事に感謝しつつ、何ができるかを本気で考えようと決めた。

私は日本人、元々自然と共生することに長けていた民族である。
如何に科学技術の発達の根底にもそのアイデンティティーを堅持してきたのが我々だと思っている。
そのことを忘れ、経済至上主義で我々の特性を失わせようとする力学もあり、
また政治的にも日本人の発想ではない筈の事が力を得てきつつあることも事実である。
大戦を経験し、思うだに身震いする原発事故を経験しながらも、なぜその事が活かされないのか、
政治家には権力志向が強すぎるのでは無いか。
何のためのに政治家になったのかと自問してみたらどうだ。
民主主義の手法、つまり選挙で選ばれたことを謙虚に考えられる政治家が一人でも多く出でよと言いたい。

公共放送の年末年始番組を観ながら毎度思うことがある。
紅白にものすごい資金と時間のエネルギーを投入し、やたらと公共放送コマーシャルを流す。
と言うことは、その様な方向性を好む国民が大多数だからなのだろうか。
一方、クラシック音楽界では、世界中の演奏家、ことにオーケストラ、歌劇場、バレエ団が日本を訪れる。
この様な国は世界中で日本だけの現象だという。
私も多分にその恩恵に預かった。
居ながらにして世界の優れた演奏が聴ける幸せを実感してきた。
その様な事が成り立つのは、日本の聴衆が圧倒的に多いこと、つまり採算に合うからに他ならない。
そして何よりも日本の聴衆の聴く態度、姿勢も、日本に来ることが彼等のステータスになっているようだ。
私もウイーン・フィルの人たちなどを鳥取に迎え、色々経験させて貰った。
彼等との対話でもその様な事を語り、また日本食大好きと云う事も要因の一つだったのでは。
行く先々での接待もきっと気に入っていたのだと思う。
聴衆の聴く態度がどうのこうの・・・、
これは一言で言って、演奏家や音楽の内容をよく勉強していることだろう。
その同族?と話をすると舌を巻くこと多々、私も大いなる刺激を受け、
凡庸に申せば、話がよく分かる、共通の話題を持っていると言うことで会話が弾むのである。
しかし、周辺にはその様な人が多く居る訳でもない。
と言うことはクラシック音楽に親しんでいる人はそう多く無いとも言える。
だから地元であろうが、他所からであろうが、その様な人に巡り合うと嬉しいのである。

今日は終日巣ごもりで考えすぎてしまった。
温暖でまこと正月らしくない新年、良き前触れであって欲しいものだ。


















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by tomiot3 | 2017-01-04 20:29 | よもやま・つれづれ | Trackback | Comments(0)

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