カテゴリ:探訪・旅( 28 )

行って見たくなるとき

火野正平のにっぽん縦断こころ旅
今週は新潟県、今日放送は新潟県の胎内市だった
私どもにとって、ここも懐かしくて思い出深き土地だ
1988年(昭和63年)全日本合唱コンクールが新潟県民会館で行われた時のこと
コンクールを終えた後、妻共々、当時は胎内の黒川村を訪れた
そもそも胎内というふたもじはお脳の中に記憶されていた
私は水力電力技術者、だからほぼ全国の公営発電所のことは多少はあるが記憶されていた
胎内川の新潟県営のダムと発電所、その近辺は黒川村と言って、
当時非常に希有な村営のホテルが運営されていることも知っていた
宿泊所ではなく、本格的ホテルでレストランも本格的であると知っていた
それは当時の村長の村興しの一つだった
従業員を研修のためヨーロッパに派遣させたという触れ込みだった
だから新潟と言えば、このことが脳裏をかすめていた訳だ
実際行ってみたら、期待を裏切るもので無かった
ディナーは売りのステーキをいただいた事がハッキリ記憶されている
新発田市と村上市の中間地点に胎内市が在り、7号線からしばらく山あいに向かって進むとホテルに行きついた
正式名称はロイヤル胎内パークホテル
経営主体がいまだに公営なのかどうかは知らないが、ランキングでは上位のようだ
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当時の記録写真が今のところ出てこない
未整理の中に埋没しているのだろう
只記憶の中では、二泊した新潟市内のホテルの印象が良くなかったせいも有り、
別格の好印象で、妻ともまた行って見たいね・・・。
当時の車はスバルの1000CCドミンゴ、よくもあちこちと走りまくった
大阪、東京にも何度通ったことか
4年間乗って、16万キロだった
台風の時、エンジン(リヤ・アンダー)が水没したことがもとで調子が悪くなった
可哀想なことをした




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by tomiot3 | 2017-06-16 22:08 | 探訪・旅 | Trackback | Comments(0)

丹後半島伊根への旅

一人暮らしの孤独、6年前の一ヶ月の入院時、妻は一人の寂しさを最近になってひょこんと洩らした
“寂しくてどうしようもなかった”
また、“私よりも先に死なないで”とも言う
私も“ボクより先に死なないで”
一人になる寂しさは思うだに嫌なこった
妻の姉は実質田舎で一人暮らし
私等も寂しさの解消に少しでも助けになればと、ちょこちょことチョコドライブに誘う
いつであったか、丹後半島の伊根はどうだろうと言った
そうすると会う度にそのことが持ち出される
長い夜、一人でテレビなどの番をして居るだけでは滅入ってしまうだろう
考えなくても良いことに縛られて、堂々めぐりの蟻地獄になるかも知れない
痛いほど分かるのだ
だから私どもも、できる範囲内で出かける機会をつくろうと努力する訳だ、

それを昨日実行した
朝8時に迎え、三人で日本海の絶景海岸沿いに走った
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好天に恵まれ、空と海の青さが対になって、“キレイだなー” の連発となる
綺麗さと大海原は私たちの心を浄化してくれる
途中、城崎マリンワールドにも立ち寄った
だがイルカショーは時間が決まっていて、行程上無理、今回は諦めることにした
                 城崎マリンワールド
         丁度この時、イルカショーのスピーチがデカく聞こえてきた
                   老女二人
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目的地の《伊根の舟屋》に着いたのは、出発から3時間半後
海岸沿いの道を右に左に、登ったり下ったり、曲がりくねって、
目的地までの距離はなかなか縮まなかった

伊根も湾で形づくられていて、海は飽くまでも穏やかに平らかだ
その湾岸に思っていたよりも長い距離に亘って、湾に接した舟屋が並んでいた
間口は概ね二間余り程度だろうか、背後の狭い路を隔てて、住居が形づくられているようだった
とっくに昼食時を過ぎて居たので、《舟屋の里伊根》の二階レストランで海鮮丼をいただいた
ここからのロケーションが素晴らしい
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                    道の駅《舟屋の里伊根》
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この道の駅からのロケーション
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食事を済ませ舟屋の並ぶ狭い露地のような道をしばらく巡った
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舟屋も時代の波に抗しきれない部分が垣間見えた
所々歯抜けになっていたり漁師廃業で住居風に改造されたりしているところが目に付いた
それでもこれぞ舟屋と言うところが多く残っている
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帰途は天橋立に立ち寄って、最終はR9に出るように、走ったことの無い道ばかり、
出石の東側を通り抜け、養父でR9に辿りつき、あとはひたすら知れた道を帰るのみであった
どこでもマナーの悪い運転者が居るものだと感心しながら安全運転あるのみだった


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by tomiot3 | 2017-04-29 19:52 | 探訪・旅 | Trackback | Comments(0)

さくら紀行 そのⅡ 満足

当初は車中泊のつもりだったのが、ベットの上での一夜、やっぱり体が休まる。
前日の長ドライブの疲れもほぼ解消、英気を養って今日もドライブができそうだ。
宿を7時に出発、郡上八幡を経由して荘内へ向かう。
根尾の薄墨桜とセットのような樽見鉄道終点は見ておかねば。
早朝だから、人影まばら、通学の女子高生かな?
そうこうしているうちに、パーっと警笛、単車が入ってきた。
幸運!
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道々、改めて春の緑の絶景に目への癒やしをしながら走る。
山々が深く、清流とその恩恵の鮎、イワナなどの看板が目に付く。
スマフォカーナビが最短を選んでくれるのは良いが、車一台通れるような道々道に不安がよぎる。
まず朝食を摂るため、「道の駅ラステン洞戸」を目指す。
ラステンとはドイツ語で休息すると言う意味だって。
平成5年にできた道の駅で小さくて、今ではひなびた感じ。
なんとか、8時になってモーニングで空腹を満たすことができた。
近隣のオッサン方がたむろしていたが、そのうちの一人が鳥取ナンバーを見て、
声をかけてきた。「遠くから来られましたなー お元気なことで」
どこでも大抵は鳥取からと分かると、感心して頂く。
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<国道156号に出たら後は道なりに進む。

郡上八幡から少し過ぎた辺り、「道の駅古今伝授の里やまと」、ここは温泉施設や直売所、レストランなど<>新しくて大きい。でもちょろっと買い物しただけ。
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<ここでは地元特産米が種類を分けて図りウルされていた。これは分かりやすい<道の駅は、大なり小なり全て立ち寄ることにしている。
その後も次々と、これだけで所要時間が延びてしまうのだが、再び来られる補償がないので、一応は覗いてみる。荘川に向かってどんどん標高を上げてゆく。<すると見たかった一つの荘川桜にまつわる話、
156号線沿線に荘川桜二世を植え続けた故バス車掌佐藤良二さん。<その桜を観るのも目的の一つ。
際だって植えられている風ではないが、要所要所に途切れること無く、数メートル間隔で植えられている。
途切れそうになるが、進行につれて次々に現れる。
随分苦労されたであろうと思う植え場所もある。感動です!
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<やがて太平洋と日本海の分水嶺が明確に分かる場所に到着。
左が長良川、右が荘川、これ程ハッキリ目撃できる分水嶺を初めて観た。
これにも妻共々感動。
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<だんだんも覚えの在る景色になってきた。夜間しか走ったことがないが、雰囲気で分かる。
倉庫好いている家に荘川ダム湖のほとりを走る。
狭い道路と狭いトンネル、そして急カーブ。
あーあそこだ!遂に見えたぞ。
遠目の駐車場に駐めてしばらく歩く。
すごい人出で、駐車できないことも予想した。
近づくにつれ、鼓動が高鳴るようだ。
わーすごい!遂に来たぞ。
荘川湖に水没する二つのお寺から移植された日本の古代桜。
アズマヒガンサクラ(江戸彼岸)で樹齢500年と言われている。
湖の桜にまつわる物語もスケールが大きい。
2本の桜意外に、Ⅱ代目の桜、電源開発株式会社の人々が植えたさくら、
今では、一大さくら公園になろうとしている。
昨日あたりがピークだったそうで、チラリホラリと花びらが舞っている。
二人は満足の感動で俣野再会を期して、名残惜しい別れ。
昨日までは大変な人手だったそうで、整理の女性は、今日は楽で骨休めです。と言われた。
<
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しばらく下ると御母衣(みぼろ)ダムロックフィルダムの無骨な姿に威厳がある。
当時は東洋一だっただろうが、今ではもっとデッカイのがある。
同じ岐阜県内の多目的の徳山ダムなどもそうだ。
湖のダムは電源開発株式会社の発電専用ダム 堤項131.0m、堤頂長405m
総貯水量3億3千万トン、発電出力21万5千万㎾
荘川の最上流のダムが御母衣ダム、以下荘川には階段状に幾つものダム湖が連なって、
一大電源地帯の一つを形づくって居る。
このダムのお陰で、下流の発電量も増えている。
幾つものダムや発電所が目に入った。
その近くに荘川桜記念館が在る。またその入り口には巨大水車の羽根(フランシス水車)がデンと置かれている。>
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さて次は、五箇山の合掌造り集落へ。
着いたのは菅沼合掌集落だった。
集落は国道の随分下だ。遊歩道でも降りられるがエレベーターもある。
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そばをいただく。
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外の席では外人さん家族がそばの類い。
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世界遺産、だから当然、内外の方が多く訪れるだろう。
しかしながら、土産物、食事など、もっともっと洗練させる必要があると思う。
ややちゃっちい感が強い。
観光地の土産物、どう見ても陳腐に写ってしまう。
次の機会にはどこかで民泊しようと思っている。

ようやく、国道304号にそれて、金沢に抜けるべく走った。
すると304号にそれてすぐ、右手に五箇山豆腐 山本商店が目に入った。
これは知っている。この豆腐が欲しかった。
だが店はお休みだった。それからしばらく走る。
なんと相倉合掌集落の看板、また寄り道だ。菅沼合掌集落より少し戸数が多いそうだ。
民泊もあって、外で女性が山菜の始末をしておられた。ここもゆっくりはまた今度。
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304号線はしばらく富山県内を走る。
砺波市福光の辺り、JR城瑞線と並行して走るところがある。
バックミラーにディーゼルの単車が映った。
なんて汚い塗装。単色ですっきりした塗装の方が良い。途中富山県内、山車の収納庫を2個所で見かた。
祭の伝統を大事にしているところは、概ね山車を納める建物がちゃんとしている。
時間を押してしまった。金沢に立ち寄るのは無理になった。
金沢藤本ICで北陸道に乗った。
途中対向車線で大きな事故が有ったようだ。
沢山の消防車、レスキュウと救援車がけたたましくサイレン鳴らして走る去った。
チラッと壊れた二台の乗用車が目に入った。
桑原桑原。
トイレ方々、尼御前SAに立ち寄る。16時過ぎだから夕食は次の南条SAで。
この近くに、小松空港と基地、ジェット戦闘機が轟音を轟かす。
着陸態勢で導体上のブレーキ板が開いているのが分かる。

南条SAで夕食。ここにはスタバもある。
昨今のサービスエリアの充実ぶりには感心している。
食事体系もレベルアップしているし、土産物も相当吟味されている風だ。ここで買った大福、後で食べたのだが旨かった。
満タンにしていたガソリンも鳥取までは危うい。給油も20リッター補給しておこう。

敦賀JCTで舞鶴敦賀道に、小さな雨が降る出した。
夕暮れ時からの光った道は、実に見にくて走りにくい。
僅か在る四車線区間はまだ良いが、大方の二車線区間は走りにくくておっかない。
鳥取道もそうだが、車幅が狭くて、安全性が低い道路だ。安物道路!安全よりも経済性だ.と言うわが国の思想そのまんまだ。大回りして中国道経由にすべきだったかなと、反省しきり。福知山ICで降りたのがまた反省。見にくい上にノロノロに出くわす。
24㎞ほど大回りになるが、春日経由自動車道で八鹿まで行けば良かった。<時間的にはこちらの方が早い。なんだかんだといいながら、22時20分わが家に帰着。やれやれ二日間で1003㎞の旅、27日は妻の歳が一つ加わるに当たっての何かになったかな。
燃費は17㎞/リッタ-だった。15万キロ走ってる車にしては上的だと思うが。
疲れもあるが、疲れが吹っ飛ぶような出来事が幾つもあった。

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by tomiot3 | 2016-04-29 21:36 | 探訪・旅 | Trackback | Comments(0)

桜探訪記

二日間で1千キロのドライブ、ちょっぴり〈車は危険〉と言う思いを2度ばかり。
北陸道の反対車線、乗用車2台が絡む事故らしい、痛ましい車の姿がチラッと目に入る。レスキュー消防車がけたたましくサイレンを鳴らし、救援車も続いて、反対方向へ。現場にはまだ数台の消防車と大勢の消防隊員。
誰かは知らないが、ケガの程度は?
帰途、北陸道から舞鶴敦賀道に入ったあたりから、ポツポツ雨が来だした。

濡れた道路は光を吸収しておっかないと思いながら、そしてのろのろの車に苛づきながらも
ほぼ計算通り、22時20分帰着した。
今回の主な目的は次の三つ
1 岐阜県本巣市根尾の《薄墨桜》 樹齢1500年 既に葉桜だったが、言葉を失うほどの威厳に             
  圧倒された。
2 同じく岐阜県の御母衣湖岸、荘内桜 巨大なダム湖の湖岸、パラパラと舞う淡いピンクの花びら
  2本のアズマ彼岸(私は江戸彼岸と言っている)のねじれの効いた巨木と見事な花の冠。
  156号線の沿道に途切れながら、人々を見守る沿道の桜、桜にまつわる物語が聞こえてきた
3 世界遺産・五箇村合掌の里(菅沼合掌集落、相倉合掌集落)見聞 

 欲張って、郡上八幡にも立ち寄ろうとの強欲も思ったが、今回は駄目だった。
 初日火曜日は絶好の天気具合、2日目は出かける前は雨の予報も幸いにも予報が後にずれてくれた
 てるてる坊主をぶら下げた訳でもないのに、なんという運の良さ。
 予想以上の桜の物語、桜のもたらす地域への貢献、これはデカイことだと思いを深くするばかり
今日はここまで、詳細はボチボチ致します。
今夜は、来年の桜行脚構想にふけることにした。
                      見事! 荘川桜
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by tomiot3 | 2016-04-28 00:59 | 探訪・旅 | Trackback | Comments(0)

久しぶりだよ大阪

本当に久しぶりだよ大阪。
先ずたまげたのは、福島のザ・シンフォニーホール周辺。
朝日放送、プラザホテル、それにホール、三点セットだった。
その近くに、格安Pがああ他のを思いだし行ってみた。
驚いた、まるで景色が違う。
幸いなことに小さなPは亡くなっていたが、代わりに大きな有料P担っていた。
そして24時間最大800円、これならと駐車。
それにしてもPからホールの特徴であるお椀を伏せたような屋根が丸見えだった。
プラザホテルも、朝日放送も姿を消していた。信じられない!
プラザホテルはつぶれた後レイの内輪もめで有名をはせた大塚家具が入っていたのだが、
結局は跡形もなくなった。再開発されるそうだ。
この方向からは昔通り、大抵はここを入ってホールの地下Pに駐めていた。
中央やや右の、ぽこんと出ているのがホール。
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ここから大阪駅まで20分くらい。
北の様変わりはなお仰天。
ヨドバシカメラができた頃まで走っているが、JRビルなど無かった。
そして大阪の北と梅田側の変貌ぶりにはまるで浦島太郎だった。
JRビルでうろつく、この超どでかい天蓋は何だ。
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下を見れば大阪駅のホーム列
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10階にレストラン街、空腹対策をしなきゃ。
エスカレータを乗り継いで10階、目移りするなか丸福珈琲を見つけた。
出店してるんだ。
ロールケーキセットは、輪島塗カップソーサというのでそれにした。
妻はハヤシライスセット。
セットはアメリカンかブレンド珈琲だという。
アメリカンというのが気に入らなかった。ブレンドにした。
珈琲は鳥取ニューオータニ(今月中)でのものとほぼイコール。まあまあ。
ハヤシライス、先日わが家で拵えたもものが余程という。
食べてみた。とてもまずいと言うほどではないが、ソースも単調、肉が固くて少ない。
玉ねぎも少なくほとんど溶けてしまっている。
わが家では玉ねぎの繊維に逆らって7盛りくらいに刻み、軽くソテーし、マッシュルームと肉を加えて、
それにソースを足す。
こちらのは玉ねぎの食感もなく、マッシュルームは見えなかった。残念!
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このビル、更に上にも色々有るが、天空の農園というのに日かかった。
階段がかなりきつかったが、17階まで上った。
今は端境なので少々拍子抜けの感ありだが、空は碧く、景色も良くて。
稲も作っているそうだ。ぶどう園、それに今はまだ準備中だが、
様々な野菜が作られるようだ。
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次は梅田辺りだ。
阪急デパートも高層デパートだ
賑わっている。
東京ほどではないが駅もここデパートも外国人、多国語が行き交う。
リビングキッチン階を見物し、デパ地下へ、こここそ大賑わい、ごった返している。
よだれが出そうだが、跡があるので何も買わない。
大阪の旧表側も槌音がけたたましい。
阪神ビル工事中の脇をすり抜けて、今日の目的地、中之島へ向かう。

いかめしい古びた大阪市庁舎、威厳がある。
並んで大阪府立中之島図書館、これは住友家の寄贈で1904年に「大阪図書館」として開館した。
設計は野口孫位置、日高胖。ネオ・バロック様式の堂々たる建築だ。
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その更に隣が今日の目的地、大阪中央公会堂だ。
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1911年(明治44年)、株式仲買人である岩本栄之助が公会堂建設費として当時の100万円を寄付したことにより、
1918年開館した。
東京駅などの設計など数々の名建築で知られる辰野金吾等の設計によるネオ・ルネサンス様式。
今日はここの3階中集会室で行われる。この空間がバロックには向いているという。
他に3階には天上装飾の美しい特別室もある。
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1,2階吹き抜けで立派なホールがある。
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時間たっぷりを使って、五代友厚銅像をミニ歩く。
大阪商工会議所を検索したが、20数分はかかりそう。
ところが中間地点で大阪取引所の真ん前に何やら銅像が。
やっぱり五代友厚銅像だった。
平成16年建立とあるから、新しい。
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<
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今日は商工会議所までは中止、大阪には数カ所あると聞いているがまた今度。
中央公会堂までは、帰りの御堂筋線の淀屋橋駅を確認のため大回りした。
ところが救世証券ビルが現れて、ふと玄関に目をやると何やら銅像が。
なんと五代友厚の座像だった。
それに若々しい。
へーこれにはビックリ。そうか49歳で没したんだから、若くてもふしぎではない。
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大阪取引所もここ救世証券も同じ彫刻家だった。中村晋也(1926年~ )大阪にはまだまだ銅像建立予定があるらしい。
生誕地鹿児島にもあるそうだし、一個人でこんなに銅像が建つ人って居ないだろう。
朝ドラ「あさが来た」が中ったら、まったく知らない世界だった。




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by tomiot3 | 2016-03-24 21:29 | 探訪・旅 | Trackback | Comments(0)

足立美術館

朝晩の冷え込みに冬への忍び足を感じる。
それでも好天に恵まれれば、汗ばむことだってある。
今日は妻とその姉を連れだって足立美術館づけの一日とした。

今の足立美術館では
ベストセレクション展〔後期〕
日本画に感動!
「生誕110年 林義雄展」
北大路魯山人の美 和食の天才
 

「生誕110年 林義雄展」(足立美術館資料コピー)

会期:平成27年10月1日(木)~平成28年1月13日(水)

林義雄は明治38年(1905)、東京深川に生まれました。はじめ日本画を学びましたが、やがて絵本の挿絵を描くようになり、童画家として活躍します。昭和36年(1961)には、武井武雄、川上四郎、鈴木寿雄らと「日本童画家協会」を結成し、協会展や個展において作品を発表しました。『おやゆびひめ』『いなばのしろうさぎ』などの絵本も多数手がけ、さらに「童塑(どうそ)」と名付けた陶製の立体作品も意欲的に制作しています。笑顔で遊ぶ子どもや動物たちなど、ほのぼのとした愛らしい作品は、現代でも子供から大人まで多くの人々を魅了し続けています。

本展は、林義雄の生誕110年を記念した特別展です。
童画、童塑、ミニアチュール(小さな額装作品)など約60点を一堂に展示いたします。
感性豊かな林義雄の世界を心ゆくまでお楽しみください。

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北大路魯山人と河井寛次郎の陶芸作品をたっぷりと鑑賞できた。
どこからこの様な独創のデザインの発想が生まれるのか、そして陶芸技術をどの様に磨いたのか、デザインを越えてそのスケール感にしばし沈黙。
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横山大観、戦時中の軍部協力の数々、どの様な心境で描いたのだろうか、その胸中や如何に、などなど真っ赤な日の丸、霊峰富士などに込められた真実とは一体?
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11時前に到着したのだが、広い駐車場には相当数の車が。
県外車が多い、しかも関東地方の車も、この館は全国版なんだ。
以前とかなり景色が違う.新館ができている。
と言うことは、何年も来ていないんだ。
館内に入れば、混み合うなどとはほど遠く、ゆったりと鑑賞できる。なにせここの展示物は当然のこと、庭園世界一がこの美術館への吸引力を増している。2008年以来、12年連続の世界一。
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この世界一の理由のひとつが分かった。
それは徹底した庭園師による管理にあるのだろう。
目撃では7名の庭園師が英々と作業をしていた。
木々の枝先に至るまで、非の打ち所のない手入れは、おそらく庭園師一人ひとりに、最高の手入れをする覚悟や意気込みを感じた。
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たっぷりと鑑賞していると、とうに昼時が過ぎていた。
庭園を眺めながら、女性二人はビーフとベジタブルカレー、私はハヤシライス。
豪華な食事ではないが、気分はすこぶるリッチ。
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ハヤシライス(ハッシュドビーフ)にはちとうるさい。
東京・大阪では相当に食べ歩いて研究した。私自身も得意のひとつの積もり。
足立のこれも美味しかった。
欲を言えば、玉ねぎのシャキシャキ感、ビーフの形、マッシュルームの食感が有ればねー。
ほとんど形のないくらい煮込まれている。
それはそれで風味のブレンドができているのだが・・・。

帰途車中からのくっきり大山の遠望の変化が素晴らしかった。
米子に立ち寄り、太鼓饅頭のみらくで息を入れ、一気一気八頭町池田まで直行。
少し疲れたかな。でも一番元気なのは誰でしょう。
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照明柱で分断。運転しながら、これはしない方が良い。
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by tomiot3 | 2015-10-07 21:01 | 探訪・旅 | Trackback | Comments(0)

音楽写真家 木之下晃お別れ会を終え 東京と帰路見聞録 Ⅲ

最終日28日
さわやかに目覚め、宿のバイキング朝食をほどよく食し、
8時40分に出発。
しばらく一般道を走ってみよう。先ずは富山ライトレールの終点岩瀬浜に向かう。
45キロ走ると岩瀬浜だった。
富山ライトレール7.6キロの終点は神通川右岸河口近くの岩瀬浜。
往きがけに富山北駅からちょこっと乗ったので、今日は終点を見ようというもの。
この地点、この時間帯は余り人の姿を見かけない。
全線単線だが15分間隔の運行。
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岩瀬浜から15分ほど走ると富山新港の架橋にかかる。
雄大な架橋を渡りきると万葉線の終点、越の潟に到着する。
万葉線とは高岡駅前と越の潟を結ぶ12.8キロのトラムだ。
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しばらく待つとやってきた。
赤色のアイトラムだ。
ほぼ20分間隔の運行だ。
今日は見るだけ、次への移動、
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能登半島をできるだけ走ってみよう。
ほぼ目蔵めっぽうに一般道を走る。
昼過ぎに七尾市に着いた。
七尾と言えば、長谷川等伯の出身地、県美術館もある。
現代ではパティシエの辻口博啓氏、地元にアートの美術館まで開設している。
軽食でもとおしゃれなカフェらしきところに入る。
ここは珈琲豆屋さんだった。
しばらくオーナーとお話しして、色々情報を仕入れた。
おすすめは駅売店で売っている海苔ならぬ玉子巻の寿司がおすすめだという。
折角のご教授だから行ってみた。とてつもなくでは無いが、あっさりと美味しかった。
能登まで足を伸ばす時間的余裕が無さそうだ。
今日はここまで。
しばらく走ると自動車道らしきものに入った。
有料?どうやら無料かも知れない。
確か自前の地図では有料だったが。
能登半島の西側の海岸に沿って、金沢までほぼ直線の四車線道路だ。
制限時速も80㎞。
途中、元SAらしきところのおばちゃんに聞いてみた。
昔は有料だったけど今は無料なんだって。ありがたや。
出発から鯖江ICまで国道8号線など一般道を158㎞走った勘定になった。

よーし鯖江から福知山までは自動車道にしよう。
舞鶴若狭自動車道全通だから福知山まで一気だ。それにしても道が空いている。
舞鶴若狭自動車で夕陽を迎えた。
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福知山から9号線を110キロ走るとわが家に着いた。やれやれ。
22時前だった。



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by tomiot3 | 2015-05-04 20:35 | 探訪・旅 | Trackback | Comments(0)

音楽写真家 木之下晃お別れ会を終え 東京と帰路見聞録 Ⅱ 

26日
東京築地魚市場が移転する前に見ておきたい。
そして寿司も食べたいというのがもう一つの目的だった。
その後は念願の東北地方に足を伸ばす遠大な予定を立てていた。
しかしながら娘が言った。“富山県の魚津に露天風呂付きの宿を取っといたから”
今回は往路の一般道ドライブで妻がややくたびれ気味。
そして東京ウオークと鉄道の乗り降りで疲労の色が隠せない。
渡りに船のことも有り、今回は無理と判断。

26日は魚市場へ、築地の朝日新聞社や国立がんセンター界隈は知っていたつもりだが、
4年のインターバルは大きかった。
ニョキニョキと高層ビルが建ちまくっている。
浜離宮公園は横目で見ながら足を入れたことが無かった。
妻が見たいというので魚市場の前に入園。
来園者は外国人を含め多かったが、ゆったりとしたオアシスと言ったところ。

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しばし散策のあと、魚市場へ移動。
なんだこりゃ!
日曜日で市場は休みだが、場外市場のごった返しは壮絶だ。
今の東京はどこでもそうだが、やたら外国語が飛び交う。
狭い市場通りは、かき分かき分け進真根羽鳴らない。
寿司屋は37軒あると聞いていたが、お目当ての小さな店はとても無理、
えーいどこでもいいや!大き目の店に落ち着いた。
一度は連れて行ってやらねばならない肩の荷は取り敢えず下りた。
“今度は余り混まなくて小さめの店にしようね。築地で無くたっていいよ”
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銀座も相変わらずの人混みになった。
おまけに今日はホコテン。
三越なども外国人の激買い恩恵があるのだろうか。
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混み合う木村家のあんパンを買って、東京駅へ移動。
駅中の駅弁、菓子など改修後初めて目にするが噂通り。
東京駅をパチパチ、極めつけは向かいの新丸ビル5?階からの眺めか。
新丸ビル内は余り外国人は目立たないが、皆さんお金持ちに見える。
飲食店がずらりずらり、どこのお店もそれなりに繁盛の様子。
私どもはひっそりと地下の叶匠寿庵の餡蜜など。
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そろそろ帰ろう。夕食を共にする娘の元へ早々に引き揚げた。
これで今回の東京は終わり。
まだまだ行きたいところ、見たいところだらけだが、また今度。

27日はゆっくりと川崎を出発した。
魚津の宿の関係で、帰路も中央道、圏央道、関越、上越、北陸道経由を走ることに。
今日も青空、途中の景色を堪能しながらの旅は長くなる。
圏央道のSA狭山ではお茶どころの標を買う。

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日本の国は美しい!鳥取、東京間、どこを走ってもである。
今は緑の濃淡の中に山桜の点描が美しい。
大好きな長野県、小布施も想い出が有る。
“またペンションに泊まろうね”
小布施PAは丁度さくらが満開だった。
この桜は10キロくらい続いていた。
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長野県の新潟県寄り、黒姫山のくっきりも久しぶり、ここのペンションも随分昔になった。
やがて雪を頂いた妙高のそびえ立つ姿が飛び込んできた。
ここも幾度となく通過しているが、こんなにくっきりは初めてだ。
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魚津に着いたのは、18時ち近くになっていた。
娘曰く、福井(芦原温泉かな)の団体の入らない素敵な温泉旅館にしてあげようとしたが、取れなかった。
詰まり次善の宿と云う事。
それは金太郎温泉という。聞いたことが無い。
この旅館だけがポツン、周囲は田んぼと民家、日本海も近い、反対側は真っ白な連峰がはるかに望める。
部屋は和式ながらベット、洗面、トイレは最新式の機器でしつらえられている。
露天風呂付きで、遙か連峰が望める絶景だ。
洗面、浴槽は有田焼。贅を尽くした感じだ。
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風呂からの眺め
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夕食は和食懐石、ボリュウムよりもちょびちょびのたっぷりにやや満腹状態。

団体さんは韓国からのお客らしいが、別館での夕食のようだった。
新幹線開通で東京を中心とした関東のお客がうん増倍になったそうだ。
従来は福井の芦原温泉など関西の奥座敷と言われていたが、これからは関東もお仲間入りになるのだろう。
富山までは2時間ちょっと。これは大きい。近くに新幹線魚津駅がある。  
 おしながき
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ロビーでは越中おわらが披露された。
富山市八尾地区の風の盆では、越中おわら節のゆったりとしたテンポに合わせて踊られる。
息の長い高いキーなので、かなり歌いにくそうだ。
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疲れもあってか二人ともぐっすり、ほぼ理想的熟睡だった。













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by tomiot3 | 2015-05-04 17:56 | 探訪・旅 | Trackback | Comments(0)

音楽写真家 木之下晃お別れ会を終え 東京と帰路見聞録 Ⅰ

25日の朝もさわやかなな青空の首都圏。
公共の宿ともこれでお別れ、川崎市高津区の娘の住まいに移動する。
車での移動だが、直線的に向かわずに小金井の江戸東京たてもの園に行ってみようとした。
小金井公園の一隅に在るようだ。
小金井公園はJR小武蔵金井駅近くで、中央線に沿って走る五日市街道沿いだ。
その五日市街道に沿って玉川上水も走っている。
その一帯は緑豊かな街路樹と言うよりも小さな森の連続と言うべきか。
近年さくらの植え付けが進んでいるようで、何年すれば見事な桜並木が出現するだろう。
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小金井公園は鳥取市の中心市街地がすっぽり入るくらいは有りそうだ。
手入れの行き届いた森、原っぱ有りで市民がそれぞれの思いで戯れている。
一郭では屋台が出ていて何やらイベントのようだった。
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江戸東京たてもの園は従来の物を引き継いで平成5年に開園されたとあった。
中央、東、西のゾーンに別れているが、そこに一歩足を踏み入れるとタイムスリップしたような感覚に襲われる。
農家、民家、商店、邸宅などがそれなんらかの存在感を示している。
2.26事件で暗殺された蔵相高橋是清邸はじっくり見学した。
園内にはミュージアム&カフェ、それに食べもの処「蔵」とカフェ武蔵野茶房がある。
丁度お昼時、武蔵野茶房でハヤシライスと妻はパンケーキをいただいた。
マドモワゼルがクラシカルで清楚なユニフォームで応対するので気分は良く美味しく感じられる。
さわやかな園内を歩くだけで1万歩、少々食べてもカロリーをキチンと精算してくれる。
今日はここまで、見られたのは中央、東の一部で西のゾーンは時間切れだった。
さあ行こう。あとは30キロ余り、余裕綽々のつもりだった。
だが、そうは問屋が卸さない、主に多摩川沿いに下ったのだが、幾度か入る道を外れてしまった。
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三井八郎右衛門邸 
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高橋是清邸
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明日は築地魚市場へ。

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by tomiot3 | 2015-05-03 19:52 | 探訪・旅 | Trackback | Comments(0)

一路 音楽写真家 木之下晃お別れ会へ 24日

いよいよメインイベント
公共の宿の1泊目が明けた。
森の緑に囲まれ、小鳥のさえずりも聞こえてくる。
宿の周囲をめぐらす道にはウオークの人、走る人、自転車の人、そして通勤の人などがちらちら見える。
ここはさいたま市、以前の大宮市、浦和市、与野市が大合併して今の名称になった。
思い起こせば1995年、今から20年の昔、与野市の時代に《彩の国さいたま芸術劇場》にやってきた。
埼京線に初めて乗り与野駅に降り立った。
前年にできたばかりの公共施設で、総収容は2000席だが、音楽ホールは604席で手頃。
そこで当時世界最高と謳われたアルバン・ベルク弦楽四重奏団を聴いた。
この時、ホールの外の通廊では、世界の劇場写真が多く展示されていた。
それが木之下晃「世界の劇場写真展」「ドイツ・オーストリア編」だった。
この時初めて音楽写真家木之下晃氏を意識した。
そしていつか鳥取にお招きしようと企てた。
後年それは梯剛之ピアノリサイタル倉吉公演に来て頂くことにつながった。
いつか鳥取で写真展をと、倉吉の間隙を縫って木之下氏を鳥取の県文館にご案内した。
しかしながら、ここなら十分できますというお墨付きを戴いたまでとなった。
思い起こすと己の無力さを感じるのみである。

さーて、東京へは10分ほど歩いて埼京線の中浦和駅で乗れば良い。
途中、別所沼公園では相変わらずウオーキング、ランニング等に市民が憩っている。
完全に市民のための公園、将に都市公園とはかく有るべきか。
沼には噴水が噴き出し、池のほとりでは釣り糸を垂れる人も居る。
緑豊かで、なんとのんびりとした世界だろう。
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中浦和高架駅のホームに降り立つと大宮の高層ビルがニョキニョキ。
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電車の待ち時間は5分ほど、その時すーっと高速で新幹線みたいな電車が通り過ぎた。
新幹線みたいだ!と妻に言った。“新幹線じゃ無いの”
しばらくして・・・そうだ新幹線は一部埼京線に沿って走っているんだ。
上下ひっきりなしに色とりどりの新幹線が通過して行く。
東北、山形、秋田、上越、北陸新幹線全てがここを通過するんだ。
妻に子どもみたいといわれながら、カメラの性能に苛づきながらパチパチした。
シャッターを押した瞬間に同期しない。北陸新幹線も見た!
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9時は回っていたが、まだ通勤者が多く、押し合いへし合い。
兎に角どこもかしこも人だらけ。
地下鉄を乗り継いでサントリーホール近くのミッドタウンで時間調整。
ドコモを探して電池切れのスマフォの充電、その間近くの星乃珈琲店で時間調整。
チェーン店のせいか珈琲にすこぶるの特徴は無いが、場所柄お客の筋はいいようだ。
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ボチボチとサントリーホールへ。
ホール正面のテラスで様子をうかがいながら時を過ごす。
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献花の名札
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ホワイエでは木之下晃写真集が展示されている。
小山実稚恵氏は勿論、クライバー、グルベローバなどももれなく。
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いよいよ小ホールにて14時に始まる。
司会は次女の貴子さん。ラジオの仕事をしてらっしゃった。
経過と趣旨説明がやや有って、小山実稚恵さんの献奏が行われた。
ショパン、なんとしめやかで温かい音楽だろうか。
木之下さんが微笑んでいらっしゃる。
写真協会長などの回想などのお話などがあって、淡々とお別れ会は終わる。
とてもよい会だった。

会の後はサントリーホールの全面協力で軽やかな宴席。
最初に喪主で夫人の登茂枝さんにご挨拶した。
覚えていて下さった。
鳥取では撮影以外にたくさんの楽しい想い出があります。
砂丘も見せて頂いたし・・・・
と言って下さった。
そのあと長女の聖子さんにもご挨拶した。(聖子さん、詰まり東京オリンピックだな)
また是非鳥取にいらして下さいとお二人に告げた。
    この写真は大失敗。大写真家の奥様にスマフォを向けるなど大失礼だった。
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参加者全員に特別編集された「音楽家写真家 木之下晃 たいせつな出会い」(101P)を頂いた。
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このあと、外で待っていた妻を伴って、渋谷へと。
渋谷の人混みはまた格別、外国人の多さに面食らう。
歩き疲れた!様子が分からないまま、値段の割りにどうかと思うソバをくらって、別所糠会館へと引き揚げた。
今日は24000歩近く歩いた。さぞや妻は大疲れだろう。

それにしても、お別れ会でありながら、なんとも心温まる会だったことか。
かって倉吉でのあしかけ三日間のご夫妻との出会いは最高だった。
その時、盟友の浜崎さんには随分お世話になった。
鳥取砂丘に案内して下さったのも実は彼だった。
きっと奥様は覚えていらっしゃるだろう。

これからは膨大な資料等の整理・管理のため「木之下晃アーカイヴス」が行うという。
どの様な発掘があるだろうか。
木之下氏から戴いたもの、購入したもの、いずれも大切な私の財産である。















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by tomiot3 | 2015-05-02 21:29 | 探訪・旅 | Trackback | Comments(0)