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音楽一筋

熱血先生清原浩斗(きよはらひろと)

初任が大阪府立春日丘高校、以来ずっと転勤皆無で
この3月で定年を迎えられることになった。

清原先生との出合いは、平成6年(1994)に智頭鉄道
が開業、その2年目の平成7年(1995)のことだった。
智頭鉄道利用拡大の一つとして、
鳥取県が関西の方達を招待する企画の2年目、
関西合唱連盟のメンバー20名ほどを率いて、三朝温泉と
鳥取砂丘、わらべ館に来訪された。

私は当時、鳥取県合唱連盟理事長をやっていた。
清原先生は、大阪府立春日丘高校の音楽教諭の肩書き
招待したお礼にと、わらべ館でにわかづくりのオペレッタを
見事にやってのけられた。
会場は大爆笑で大いに湧いたものだ。
それ以来、すっかり意気投合した。

その後、鳥取県にも指導者として再々来鳥していただき、
いつの頃からか、鳥取市少年少女の指導をお願いした。
以来延々とその指導が続いているのである。
春日丘高校の音楽部は全校の1割ほどの団員
つまり100名くらいの団員を要していた。

何度も定期演奏会やその他の演奏会に招かれ、
また鉢伏高原での毎年の合宿にも顔を出したりした。
合宿帰りのバスを2度鳥取に回してもらって
ミニ演奏会を開いたりもした。

高レベルな合唱と若い高校生のハツラツに元気をもらったものだ。

その熱血先生もとうとう学校を去られる。
学校からは続けて欲しいとの要請もあるようだが
何せ人気の方、全国の合唱団から指導要請が
数多あるそうなので、恐らく学校はスパッとなるだろう。

その指導はアナリーゼが明確かつ的確
魔法にかかったように合唱団の上達は見る見るうちにとなった。

今回、鳥取市少年少女の定期演奏会(3月22日)
に備えての指導に奥方(ソプラノ歌手)同伴来訪された。

仕事を終わられた後に落ち合って、
造形作家として、とみに認められつつある徳持耕一郎氏
工房に訪ねた。
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以前購入された鉄琴アートの修理依頼のためもあったが
1時間ほど四人で楽しく芸談に湧いた。


工房では鉄筋の曲げも経験させてもらい
愉快な時間をしばし過ごした後お別れした。
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by tomiot3 | 2009-02-28 22:04 | 音楽よもやま | Trackback | Comments(0)

サクラ

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これは山桜のつぼみである。
昨年400本以上の山桜に何らかの手を加えたが
このサクラは、自転車道脇のアスファルトを突き破るように
幹を張って根を下ろし、たくましく、美しく育っている。
発見してから早や3年になろうか。
まだ小振りの樹ではあるが
樹形もまあまあ、山桜らしく樹の表皮のつやもよろしい。

初めて会ったときに比べたら、随分成長した。

毎日のように会っているとつぼみの膨らみようが
遅いなーと思ってしまう。
天候不順な日々が続いたせいか
膨らみ速度が鈍く感じられるのだ。

3月になれば、一気にと言うこともある。
山桜は葉っぱが先行するので、
開花はいつ頃になるか。

3月中に染井吉野の苗が手に届いたら植え付けも忙しくなる。
河津桜の苗も5本注文完了なのだが、
まだ届かない。

久松公園や摩尼川沿いの桜の手入れの良くないのが
気になる春となった。ちょいとやきもきである。
砂丘トンネル付近の桜に巻き付いたツタは
昨年伐ってやったが、また伸びてきた。
畑も気になるし、忙しい春到来である。
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by tomiot3 | 2009-02-27 21:49 | 自然・環境・緑・災害 | Trackback | Comments(0)

カザルス

カザルスのことをもっと知りたい

「カザルスとの対話」
J.M.コレドール 著
(佐藤良雄 訳)-1988年白水社

この書は既に廃刊のようだが、
中古本は幾つかのネットで扱われている。
古本は割安なので是非入手されて
お読みいただければうれしい。

「パブロ・カザルスの生涯」
ロバート・バルドック 著
浅尾敦則 訳
1994年筑摩書房 3500円(本体)
この書は現役版で入手できる。

カザルスの没後に書かれた最初の伝記である。
巻頭にパブロ・カザルスのことばが載せられている。
“音楽は目的にかなったものでなければならず、
またそれ自体よりも何か大きなもの、人類愛の一部
でないといけない。
そしてそれこそが今日、
私の音楽に関する主張の中核をなすものである。
その人類愛の欠如ということが、音楽家といえども
一人の人間であるからには、音楽よりも人生に
対する姿勢の方がより重要だ。
この二つを切り離して考えることはできない。”


このカザルスの言葉と重なるように
ノーベル物理学賞受賞の益川敏英博士の主張が
重く心に残っている。
“素粒子研究も平和運動も同じレベルで大事だ。
憲法第九条が危機なら研究より運動に力を尽くす”

音楽も学問も諸々のこと、すべての根本は
平和である。これが私の主張だ。

カザルスを敬慕するのは、今世紀最大の音楽家として
ばかりでなく、
この不屈の精神に学びたいと思うからである。

益川敏英博士の来訪を実現したいと思っている。
益川氏をと言う理由にもう一つある。
ストックホルムでのインタビューだったと記憶しているが
記者“いま何がしたいですか”
すかさず“クラシック音楽をいっぱい聴きたいです”

道を究めた人には、クラシック音楽好きな人が多い。
古くはアインシュタイン、カミオカンデの小柴昌俊博士、
ロケット工学の糸川英夫博士、そして益川敏英博士
別の分野では、漫画の手塚治虫、
歌舞伎の坂東玉三郎、などである。

クラシック音楽が好きだからといっても
小泉純一郎氏の場合もあるので、一概に
リベラルで平和主義者とは限らないことを断っておく。
これはよく解らない。

クラシック音楽は、その奥底に果てしない精神性、哲学性
を秘めて、民族や人種を越えて、人類に共通の普遍性を
与え伝えることができる最高の芸術の一つである。
それは決して刹那的で一過性なものではなく、
永年に亘って人間力を高める大切なものと思っている。
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by tomiot3 | 2009-02-26 21:00 | 書籍・雑誌 | Trackback | Comments(0)

偉大なチェリスト

カザルスと平和への希求

パブロ・カザルス(1876年12月29日カタロニア地方、
ヴェンドレル地方に生まれ、
1973年10月22日プエルト・リコ島のサン・ファンに没す)。

神様のようなチェリストと敬愛していた。
スペイン出身、スペイン内乱でファッショのフランコ総統が
独裁者になった時、「フランコの独裁政権が続く限りスペインには還らない」
と故国を捨て、フランスのピレネー山脈のふもとプラードに亡命した。

亡命中も世界中からカザルスを慕って集まり
そこで音楽祭まで開かれ永く続いた。プラード、マールボロ
格別に鮮明な記憶として国連デー記念コンサートは忘れることが出来ない。
当時のテレビでもその模様が録画で放映された。
演奏が終わって、カザルスが壇上から世界中の国連打表に語りかた。
「故国カタルーニャの鳥がピース、ピースと鳴いてます」
そしてカタロニアの民謡「鳥の歌」を演奏した。
会場は感動の涙で曇った。
当時はフランコがまだ生きて、独裁政治を続けていた。

バッハの無伴奏チェロ組曲を17歳の時発見し、
その素晴らしさをこの若さで見抜いた洞察のすごさ。
それから幾十年、音盤に残したのは70歳を過ぎてからだった。

驚異的なのは私生活においても並外れていた。
カザルスは妻を幾度か取り替えた。
そのピリオドは80歳を迎えてから
20歳の愛弟子マルティータ(愛称マルタ)を妻とし、
子どももきちっともうけたのだから、これまた驚きだった。
何から何まで天才的な能力を神様から与えられていたのだろう。

かって愛読した書「カザルスとの対話」のあらましを紹介したい。
これはカザルスの秘書であったJ.M.コレドール著
(佐藤良雄訳)-本書の初版は1956年読売新聞社、
再版は1961年ディスク社より刊行されたが、久しく絶版となった。

私の蔵書は多分初版だったが、行方不明になってしまった。

1988年白水社で発行され、第一刷が出された。
私の手元には再入手した1994年第二刷がある。

カザルスとコレドールの対話を著したこの書は、
カザルスの偉大な音楽家として、はたまた人間として
の全貌を知るに十分な内容である。

この書の帯には、「チェロはカザルスによって始まった」とあり、
「巨匠は語る さまざまな 思い出や意見は、現代のチェリストに、
その楽器の無限の可能性について 不滅の解明を与え、
より高い人間の 目標にあこがれる すべての人々には、
霊感と勇気の 源泉となる。」

高名なヴァイオリニストであり作曲家でもあった
ウジェーヌ・イザイは「カザルスは実に感受性と深みのある芸術家であり、
もっともひろい意味で、至上の音楽家である。
どんな細部をもいい加減にせず、
すべては熟練と知識と明察を持って浮き彫りにされる・・・
その演奏態度は思想の反射的躍動で、
まさしく、魂の奥底まで揺り動かし感銘させる。
・・・カザルスは私がいままでに聞いた最大の演奏家だ。」

“1961年11月13日、ケネディ大統領に
ホワイトハウスでコンサートを要請された。
大統領は《自由のメダル》をつくって、それを数人の
アメリカ人と二人のヨーロッパ人、つまりパブロ・カザルスと
ジャン・モネに贈った。

ケネディが暗殺された翌日、巨匠はサントゥルセの小さな家から
哀悼を述べ、それはアメリカのいくつかのテレビに中継された。
激しい悲しみを込めた言葉は、おそらく雄弁な演説以上に、
犠牲となった大統領の同国人たちの胸を打ったに違いない。”
以上は同書の「地上に平和を」から引用した。

現代の世相のなせる技か、平和への希求を深めるため、
そして真実とは何か を自ら確かめるために
「カザルスとの対話」を再読したいと思った。
大きく深い啓示を
受けるに違いなと思って。

訳者の佐藤良雄氏は、カザルスの弟子として
長く接した日本人。「カザルスへの思慕」を著している。

カザルスに関する出版は、現在時点で11冊あるようだ。

東京駿河台のカザルスホール。
カザルス財団から命名を許された室内楽専用ホール。
主婦の友社がつくったが、現在は日本大学の所有となっている。
何度かここでの名演奏に接した。
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by tomiot3 | 2009-02-25 21:00 | 音楽よもやま | Trackback(1) | Comments(0)

言いたくないけど

嘆かわしや!政治力の低下
これでいいのか 国会や政府の有様は目を覆うばかり
完全に能力低下を来している。
政府与党、責任政党などと威張っていた自民党の
能力低下は重病或いは危篤状態だ。
選挙に勝つことのみに、なりふり構わずやってきたツケが
廻ってきた。

簡単に勝てる継承候補、つまり二世・三世の議員
タレント議員、スポーツ議員その他人気者を候補に掲げ
どちらかと言えば圧勝してきた。
それらの人は、多くの場合、政治や行政の素人であるから
数の上では役立っても、いざ仕事となると何をしてよいか判らない。
余程の天性的能力が備わっていれば、
短期で修得出来るようになる場合もあろうが
オッとどっこい、そうは問屋が卸さない。
立法能力など有るわけないし、
ましてや専門的知識など持ち合わせていないから
議員報酬を受け取るのみで、賛成議員としか働けないのである。

一番最近でも、殆ど経験を積まずに少子化担当大臣になったり、
外務政務次官になったり、信じられないくらいだ。
自民党は人材を育てるのに失敗した。
党一丸となって国力低下に精を出している。

最も少子化担当などは、
もともと何をしてよいか判らないので
誰がなっても一緒なのだが。

究極はなんと言っても、総理総裁だろう。
三代続けた継承議員がトップのポジションを獲得した。
だが物の見事に「ダメおやじ」を演じて見せた。
もうやめてよ。国民を馬鹿にしないでよ。
元をただせば、何のことはない、選んだ選挙民が悪いのだが。

つける薬はありませんか。
日本丸は沈没するよ。
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by tomiot3 | 2009-02-25 20:40 | 多論好論 | Trackback | Comments(0)

砂丘を愛そう

砂丘の四季と幻想
砂丘の評判には色々あって
よかった評判、よくなかった評判、さまざまである
私は砂丘が大好きだ。どんなに言われようと、貶されようとである。
だから今の砂丘の儘ではいけないと強く思うのである。
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ずっと以前、盲目のヴァイオリニスト和波孝禧氏夫妻を
演奏会を終えた翌日砂丘に案内した。
馬の背までは結構な距離、
大事なヴァイオリンを下げたまま砂に足を取られながら進む。
背を押すように土産物屋のスピーカから演歌が流れてくるのである。
馬の背に近づいた頃、“やっと聞こえなくなった”と呟かれた。
砂丘の中心となっているラクダの背までたどり着く、
眺望は素晴らしく水平線は地球が丸いんだと実感させてくれる。
だが和波さんがどう感じられたか。

後年沢山の演奏家を案内した。
やはり盲目の梯剛之母子、彼は渚にたたずんで、
押し寄せるさざ波に手をかざし、そして夕日を感じた。
“たけし、ほらごらん、大きなお日様が沈むよ”
私は得も言われぬ感動を覚えたものだ。

ギターの村治佳織さん、村治奏一さん、木村大さん、
ハープの松岡みやびさん母子とは馬車にも乗った。
しかも初めてだった。
作曲家の小林秀雄さん、それに合唱指導の方々など、
それなりに砂丘の素晴らしさを感じて頂いた。

ことに小林秀雄さんには、
砂丘と日本海を題材にした
ピアノと混声合唱のための組曲「光と風と波と」
を作曲して頂いたのでその感慨は別世界のものだったようだ。

ちなみにこの作曲に関しては私がプロデュースさせて頂いた。
砂丘の四季と自然の素晴らしさを四楽章的に歌い上げたもので
数十分におよぶ大曲となった。
私が砂丘によせる想いの一端が実現する一頁だった。

この詩は松江在住の詩人五十川式部さんにお願いしたが、
彼女は四季折々の砂丘に浸り、穏やかな砂丘、荒れ狂うる砂丘、
そこに生きる生物、
そしてこれらを慈しむ人間を余すところなく表現して頂いた。
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砂丘は馬の背だけではないのである。
360度から砂丘を眺めて、初めて砂丘の本来が読めてくるのだ。
むしろ砂丘の臍の馬の背よりも周辺の砂丘とはるか遠方から眺める砂丘、
多鯰ヶ池を包含した砂丘に魅力を感じている。
そうすると太古に形成された砂丘に愛しささえ感じるのである。

そんな砂丘を日本国中の人々に観て貰いたい。
真の国立公園の在る姿を感じて貰いたい。
国立公園とは、単に観光地としての価値観に閉じ込めてはいけないと思う。

説明のつかないでっかいものを頂いて、
心の糧を得る場所でなければいけない。
現状は車で或いは観光バスで来て、
呑んで食べて、ハイさようなら、となっている。
せめて馬の背ぐらいには行って欲しいものだ。
また砂丘縦断をしたり、
多鯰ヶ池周辺をウオーキングすると別の顔も見えてくる。

私は思う。
砂丘再生の決め手は先ず原点に返ることだ。
そのための提案或いは私案がある。
奇想天外な考えかも知れないが、大きな壁を意識しつつ、
今後少しずつその考え方を披露するので聞いて欲しい。
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by tomiot3 | 2009-02-24 21:07 | 自然・環境・緑・災害 | Trackback | Comments(0)

砂丘の評判

ダウラでの話

昨日は有隣荘の見聞で良い気分と英気を養う一日だった
ところが今日ダウラで聞いた話は、ああやっぱり 
昨日、栃木県から女性二人の旅人来客が有った
砂丘へ行って来たという
そこでマスターが問いかけた
“砂丘は如何でしたか”
“言ってもいいですか 鳥取の方には言い難いですけど”
“いいですよ 鳥取の人間でないから” 咄嗟とは言え良くできました
“汚いです たとえば 土産物屋 品物も陳腐 これでも国立公園ですか”

よく言って下さいました

おそらく日本一の砂丘イメージが壊れたのだろう
口コミでまた広がってゆく

私も常々思っていたこと 決してこのお客さんだけでなく
恐らくまともな方は皆さんそう思うに違いない

余りにも低俗で自然を食い物して平気になっているのである
デザイン性など全くなく、脈絡もなく立ち並ぶ建築物
車で来てひょいと行けば、もう砂丘 
ラクダや馬も待っている
オシッコや糞の臭いもアクセサリー

ある時、くさいねー と観光客が会話していた

意味のない立木は荒れ放題、
草原砂丘の草はみっともなく風にそよいでいる

イベント重視の皆さんはそんな事はお構いなし
とにかく大量に来てくれればいいんだ 大成功!
喝采喝采

このままでは駄目だ
デザインし直さなきゃ
つまり元の砂丘イメージを復古せねば
これこそ砂丘ルネサンスだ
公園エリアも見直しだ
多鯰ヶ池とその周辺 
乾燥地研究センター用地もエリア内にして
もっと雄大な砂丘を観てもらおう

修景も何も有ったものではないデザイン感覚
官も民もだ

環境省、鳥取県、鳥取市それに受益団体は
本当の砂丘を嫌っているのかも知れない

砂丘とその周辺、修景、ゴミなど
撮りまくった写真は膨大だ

いつか「キレイでない砂丘とその周辺」と銘打って
写真展?をしたいくらいだ

そのうちの一枚、土産物屋の始まる東側の一部
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by tomiot3 | 2009-02-23 22:40 | 自然・環境・緑・災害 | Trackback | Comments(0)

ザルツブルクへの想い

08ザルツブルク音楽祭

世界で最も規模の大きな音楽祭であろうか
ザルツブルクは、ご存じ、天才モーツァルトの生誕地
毎年7月に開催され、そこで演ぜられる音楽は最高レベル
かってはカラヤンが君臨した時代が有った
ウィーン・フィル、ベルリン・フィルを筆頭に名だたる
個人、団体の演奏が繰り広げられる

21日夜ハイビジョンで昨年の音楽祭のウィーン・フィルが
放映された
ピエール・ブーレーズ指揮でストラヴィンスキーの
バレエ音楽「火の鳥」だった
色彩感豊かで、火の鳥が舞う様子が鮮やかに連想できる
ヒンクとホーネックのトップ、オッテンザマーのクラリネット
シュルツのフルート、以上が顔見知り
ファゴットに女性が どんどん女性が進出してくるようだ

祝祭大劇場といえば、
サウンド・オブ・ミュージックにも登場する岩窟が舞台のホールだ
そこで見る光景は、いつも超満員、世界中から集まるのだろう

ザルツブルクはその名の通り、塩で栄えた街
人口は15万人、日本で言えば中都市か
そのくせ音楽文化がぎっしり詰まった街
世界中から人々を迎え交流のるつぼとなっている

ウィーンへ旅した折、ザルツにも電車で行く予定だったが
零下20度の余りの寒さに止めてしまった
今にして思う 残念だった!

その代わり、ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団と
梯剛之の演奏会を梨花ホールでやったことが、せめてもの慰めか
演奏はすばらしかったが、お客さんの数はさほどでもなかった
鳥取ではなかなか通用しない

ああ!行ってみたいなザルツブルク 
そしてカンマーグートを思いっきり歩きたい
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by tomiot3 | 2009-02-22 22:42 | 音楽よもやま | Trackback(7) | Comments(0)

鳥取の由緒発見

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有隣荘
ところは鳥取市郊外の国安
その集落の最南端にこんもりとした森がある
その森にひっそりとではあるが
豪壮な邸宅が現れた
その名は「有隣荘」

鳥取・智頭の財閥(今は財閥とは言わない)、米原家の管理する屋敷である
その敷地、二千百坪
その名称の由来は「論語」里仁篇にあるという
子曰く、徳不孤、必有隣、(子の曰く、徳は孤ならず、必ず隣あり)
人柄の良い人は決して孤独ではなく、必ず隣人ができる
という意味だと、説明されている。

もともと因幡でも屈指の大庄屋西尾家の「西尾邸」であった
当主は代々「勘兵衛」を名乗り、その祖先は
因幡の城主・西尾伯耆守だったと言う

昭和36年(1961年)に米原家に譲渡された。

国安は千代川のたび重なる氾濫により
幾たびも移転を繰り返し
大正7年(1918年)に現在の地に移転をはじめ
5年の歳月をかけて建築された

この有隣荘は宮大工の巧みの技が随所に見られ
材の贅と共に見所となっている

茶室、湯殿のある一帯は、徳川後期のころ
池田家より拝領されたものだそうで
今は見ることの叶わない鳥取城の一部が
立派に現存し、利用されていることを想うと
万感の感慨が伝わってくるのである

昭和60年(1985年)は鳥取国体であった
私も合唱隊の一責任者としての思いも深いのであるが
この機に、由緒ある有隣荘が迎賓の役割を担ったのである

さらに60年国体を境に一般にも利用されるようになって
現在に至っている

有隣荘の見所は、掛け軸、ふすま絵など数々あるが
なんと言っても、一番の見所は茶室であろうか、
材に純国産の栂が使われ、禅味あふれるわびの世界が
伝わってくるようだ
今も茶会などにも大いに利用されている

また国体を機に増築された部分は
舞台もしつらえられ、ちょっとした演奏会にも
利用できるなど、その利用価値は無限である
もちろん多種多様な部屋は食事会にも利用されている
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先ず正門をくぐると、右手に大きな楠の古木
正面玄関前には、文字通りの松、竹、梅が配されている
さらに左手は、有隣荘の極めつけ、日本庭園がひろがる
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この庭園の鑑賞ヒント、
屋敷の中から南方に目を転じよう
八坂山を借景とした庭園の眺めはそこはかとなく
心の安らぎを与えるのである 絶景かな
京の庭師による改心の庭園である
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借景の八坂山の下方に看板が三枚、
これは大変残念である。

課題としては、屋敷周辺、アプローチをも含めた
総合的な景観改善と保護が絶対に必要と感じた

私自身門前まで訪れたことはあるものの
今回の初めての案内を受けて知ったことである

将来、多くの人々に知らしめて、奥行きのある利用がすすめば
数少ない鳥取の名所となり、
鳥取の人々の精神文化に寄与するところ大なりと確信した
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by tomiot3 | 2009-02-22 21:00 | 街と村づくり | Trackback | Comments(0)

未知へのいざない


ベネズエラのユース・オーケストラ


シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラ
ベネズエラのオーケストラを聴くなんて初めて。
しかも若者達100名以上の大編成オーケストラである。
顔ぶれはいわゆる有色で、白人は居ないのでこの様な
大編成になると、何か独特の雰囲気だ。

指揮者もベネズエラ出身のグスターボ・ドゥメダル、
今世界が注目しているという。

25歳で第一回グスタフ・マーラー指揮者コンクールに優勝。
世界中のオケで振っているという。
全く知らなかった。

NHK-BShiで昨夜放送された。
すべて初めての見聞である。
東京芸術劇場は超満員、ステージ真横のバルコニーまで
人で埋まっている。

ドビュッシー/ダフニスとクローエ第2番
チャイコフスキー/交響曲第5番

殊に前半の曲は、
印象的な曲なのでそれほど会場は熱を帯びることはない。
だが演奏の質は相当に高い。
地球の裏のベネズエラの音楽教育は、我々の知らない世界。
知らない世界からとんでもないハイレベルが育っていたと言う印象。
チャイコが終わるやいなや、会場はブラボーの嵐。
こんなに自由奔放、明るい第5は聴いたことがない。
若い団員も躍動しながら演奏しているようだ。

アンコールがすごかった。
バーンスタイン/ウエストサイド・ストーリーからマンボ
ヒナステラ/エスタジアンから終曲の踊り

さすがリズム感は格別、乗りに乗りまくる演奏に
会場もすっかり虜の一体感。

ああ東京はいいな!近くだったら。
せめて放送で知ることに感謝。

続いての放映。
指揮者ドゥメダルは昨年6月のベルリン・フィルの
野外演奏会に抜擢される。
「ワルトビューネ・コンサート」に初登場。
南米作品を思いっきり。
くつろいだベルリン郊外の森は格別の夜となったようだった。

この野外コンサートはベルリン名物で世界の名だたる指揮者が登場する。
もちろん小澤征爾もである。

ドゥダメルは
ベルリンPO、ウィーンPOはじめ多くの有名オケを既に振っているようだ。
グラもフォンでも数枚CDがリリースされている。
ベートーヴェンの第5と第7を聴いてみたくなった。

過去の範疇にない天才かも知れない。
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by tomiot3 | 2009-02-21 21:00 | 音楽よもやま | Trackback(3) | Comments(0)