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引き締まる冷たい空気

5時半、今朝は寒いぞ。
満天の星、月齢24の月、ひときわ目立つ輝きの金星
キリッとした空気を切り裂くようにウオークの足取りも軽い。
顔の皮膚が引っ張られ、手の指先がだんだん痛くなってくる。
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トンネルを抜けると暗い砂丘が待っている。
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ようやく東の空がボーッとしてきた。
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まだ目覚めない無人の砂丘
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こどもの国ではD51の移設作業が待っている。
こんなに早く巨大クレーンやトレーラーが何台も終結していた。
ここに鎮座してから何十年になるのだろうか。
ほとんど見捨てられて居たD51君、ようやく日の目を見るかな?
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いつものJ-1、おやっマイベンチの丸太が転がされている。
誰だっ、悪戯する奴は、よっこらよっこら転がして復元
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もうすぐ7時、すっかり辺りが明るくなった。
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今朝は1時間50分、一万二千歩のちょい朝ウオークだった。
指の先はすっかり悴んでしまった。気温2℃ではネー。
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by tomiot3 | 2010-11-30 21:00 | 自然・環境・緑・災害 | Trackback | Comments(0)

D51移設さる

今日はD51移設の合間に昼間ウオーク

10時前こどもの国現場へ、
とっくに作業にかかっていたようだが、缶体と動輪台車の切り離しに手間取った。
天候は良好で作業にはうってつけだ。
2時間ほど現場に立ち尽くしていたら冷たい空気にすっかり冷えてしまった。
動体保存ではないので結構乱暴にガス切断機で切ってしまうのだがそれでもなかなかだ。
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釣り上げ
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残された動輪台車、何十年も雨ざらしになっていれば痛みが有るよね。
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トレーラにおんぶ
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動輪台車の釣り上げ
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動輪台車トレーラーにおんぶ、これで午前のメイン作業は終わり。
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炭水車のタンクと代車を残すのみ。
午後は100メートルほど移動して新設置場所に据えられる。
夕方再び現場へ、すっかりメインは終了して炭水車の設置だった。
17時頃になると辺りは闇に包まれてくる。
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これで移動は終わった。
缶体のカウリングやら化粧をしてこどもの国の正面に鎮座する。
子どもたちの関心を呼ぶことが出来るだろうか。
やっぱり汽笛ぐらいは鳴らしたいものだ。
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by tomiot3 | 2010-11-30 21:00 | 自然・環境・緑・災害 | Trackback | Comments(0)

鳥取市庁舎問題

どうなるの?鳥取市役所
本日市内で開かれる集会に参加する予定で居たのだが、
日程を取り違えてしまった。大失敗!

先般の市議選でもこの事の論戦は一切なかったし、さらに市長選でもこの事が
語られたことはなかった。

今回の集会も鳥取市が実施しようとしている市民アンケートも立て替えを前提としているので
今更私見を述べてもと言う感強である。
一体市議会はどうなっていたのだろう。心底不信感が湧いてくる。

今何故市庁舎なのか?何故急ぐのか?
配られたチラシによると次のことが今日の論点となっていた。
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これら列挙された観点以前にもの申そう。
そもそも市庁舎は市街地の最も重要な核となる施設である。
だから軽々に早々に結論すべき問題ではない。
古くは城下町、今県都としての鳥取市の全域あるいは市街地の構築をどうするか
このままでよいのか、或いは改造すべきなのか、と言う問題を含めて
都市構築のグランドデザインを先ずは描かねばならない。

市長の諮問委員会が改築つまり新築の方針を出したことが報じられた。
だがその委員会が問題である。
改築・新築有りきでは無かったか、さらに級市民病院跡地で内々は結論されている
風評もある。このことなど言語道断ではないか。

鳥取市は中心市街地活性化などと言っている反面、
郊外へ郊外へと市街地膨張策を行ってきた。
今又、市庁舎を云々して同じことを繰り返そうとしている。
市庁舎改築は場所がどこであれ、巨額の資金を必要とする。

むしろ市庁舎よりも都市改造立案が先ではないかと考える。
県都として市民が快適にして住みやすく誇れる街を創ることが百年二百年の大計でなければならない。それは日本一の快適都市を目指すことである。
この様な理念でグランドデザインを構築した上で市庁舎或いは他の文化施設など
有機的に検討されなければならない。
グランドデザインもまずは基礎的に市民が納得し、その上で都市環境デザインの
専門家によるコンペティションを行って構想を描き、さらに市民の意識を高めた上で行う。
往々にして有識者云々による検討が便利に使われるが有識者なるものに疑問がある。
今回の問題でも結局は改築有りきが追認されるために利用されたと写る。

さて具体的に幾つかの問題点を整理しよう。
現在の市庁舎が6ヶ所・・・
6ヶ所は言い過ぎである。本庁舎、第2庁舎(旧明治時生命)、駅南庁舎(旧ダイエイ)の3ヶ所と言うべきだろう。
他の3ヶ所、(福祉文化会館、文化センター、下水道庁舎)が例に挙がっているが、
これらはその施設がある限りその現場であるのが本筋であって、統合などナンセンスである。
むしろ現在までの市職員の仕事の在り方そのものが見直されて、現場主義を大いに取り入れる
のがよいと思う面が多々ある。
こうした面から現場主義をかなぐり捨て一つの庁舎に統合するとなると一体どうなるか。
利便性については、各種委員会、市民課などが別れているが、利用する側から格別に不便この上ないと言うことは無い。
むしろ利便性と立て替え論には齟齬を感じる。

「6ヶ所の統合新築」 「駅南庁舎を残し、その他の庁舎の新築」
前問と同様の理由でむしろこの案も統合とか改築を前提にしているので今の段階では却下である。

将来の街づくり、回遊性の観点から市役所の位置はどこがいいの?
前述したようにグランドデザインされた上で議論したいものだ。
市の策定した“2核2軸の都市構造”との整合性は?
このテーマと併せてのあえての私見である。
「鳥取市中心市街地活性化基本計画」が策定されていて、
117ページに亘るかなりのボリュウムの資料がある。
いわゆるマスタープランと言う言葉も出てくる。
そのひとつが中心市街地の2核2軸の都市構造である。
2核とは鳥取城跡と鳥取駅周辺であり2軸とは智頭街道と若桜街道のことである。
これが中心市街地活性化の一大キーとなっている。
この説明は間違いではない。しかしこれでは茫洋としていて明確な目標は何も見えてこない。
私見はこうである。
2核2軸のエリアの徹底した再開発である。
百年・二百年の大計でまったくゼロからやり直す都市改造をやるのである。
2核2軸を基盤として同時に鳥取砂丘へのアプローチ、郊外商業地域の整理、
中心市街地の商業、文化&教育施設、公共施設(市役所、県庁)、住居施設の
グランドデザインを描く。
その根拠となる柱は
①低炭素化都市
②緑豊かな街並み、いわゆる森の都市
③公共交通と自転車・歩行者の街
④商業、文化&教育施設、公共施設(市役所、県庁)、住居施設の配置
⑤中央公園のスペース確保
⑥ランドマークの創設
これらの実現のため中心市街地への車乗り入れを禁じ、
人の溢れる街づくりをする。いわゆるモールの形成である。
これらが実現すると街人口が増え、他地方からの来訪客、つまり砂丘観光の客をも
市街地に呼び込むのである。
従来は箱物といえば良く無い響きとなっているが、十分に検討された箱物は
都市の魅力を増し、市民が憩え楽しく暮らせる街は他地区からの人々にも共感を呼ぶだろう。
文化&教育施設とは、ちなみに美術館、コンサートホール、劇場、
そして学校施設の整備統廃合或いは移転を指す。

新庁舎建設の候補地の一つ「市立病院跡地」。この病院跡地の一番有効な使い道は?
建設地立地としては当然上がってくると思われるが、
むしろこの土地は他への使途があろうというもの。
ここに移転すると完全に2核2軸のそのものの構図が崩れる。
県庁舎、市庁舎は基本的に動かせないというのが基本である。

移転新築の場合、本庁舎(尚徳町)の跡地利用は?
この問題も有りきの前提条件による設問であるが、あえて答えよう。
そもそもこの場所から動かすべきでないと思うが故の仮の案である。
同時にグランドデザインが描かれた上での話であることを前置きする。

現在この敷地には本庁舎、市民会館それに駐車場が配置されている。
市民会館は最近一部改修されたばかりだが、改築時期までに相当な年月をかけたとする。
新庁舎は現在の駐車場の位置に建築する。
それは、中規模ホール、商業施設を含めた複合ビルとして1数階程度の
高層化ビルとする。
つまり現在の市庁舎は当然撤去し、市民会館は今少し考える必要がある。
(市民会館は不十分ながら演劇鑑賞劇場として有効である)
駐車場は本庁舎地下駐車場として極力空地を得て緑地公園とする。
向かいの分庁舎は他に転用するか、或いは取り壊すなど
グランドデザインに従っての用地とする。
未来都市構築には結論を急ぐことはない。じっくり考えよう。
駅南庁舎も然りである。

そもそも市庁舎移転をするもしないも時間をかけて議論し検討すべきである。
何年かかっても良いではないか。何故そんなに急ぐ。
震度6で倒壊の畏れがあるなどと言っているが、論議を深めるに何年かけても良いではないか。
その間不安があれば最小の費用で耐震化をして凌げばよい。
これがでっかい無駄使いを防ぐことになる。
もっと有効な都市構築にお金をかけようではないか。

都市計画(改造)で必ず留意すべき基本事項。
1 低炭素化社会への対応と実現。都市交通、エネルギー活用などあらゆる智恵の結集が必要。
2 緑地構成の明確化、言い換えれば緑化率の策定である。
3 エネルギー活用補足 リサイクル、自然エネルギー(地熱・太陽)の活用。
4 エネルギー、交通革命への対応。早晩化石燃料を使用しない交通手段がやってくる。
  自転車・歩行者胴の整備、バイク(自転車)及びカーのシェアリングシステムと
  そのエリアの確保。
残念ながら市の中心市街地活性化計画においてこうした理念が欠如し、
個々の計画にもそうした傾向を伺うことが出来ない。
地球温暖化ストップの意気込みと具体策がどこにも窺えないことが
県・市を問わず明らかであるのは切歯である。
末端から始まらないと温暖化ストップなど出来はしない。

追記
現在片原駐車場が取り壊されて何やら基礎工事が行われている。
駐車場の改築かも知れない。
これなども本来、中心都市活性化の重要な位置にあるにも拘わらず
ほとんど議論無しに進められている。
この現状を見ても如何に市民を無視した都市構築をしているかが窺えて残念である。
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by tomiot3 | 2010-11-29 21:10 | 市庁舎はどうなる | Trackback | Comments(0)

演劇 炎の人

鳥取演劇鑑賞会 第250回例会 2010.11.28(日)18:30~21:15
無名熟公演 炎の人
仲代達矢/ゴッホ

会場は鳥取市民会館、改装成ったとは言え座席が更新されたのが主で
雰囲気はそれ程改善されたとは言えない。
むしろ響きは以前にも増して無くなったように思える。
だが演劇人の声はとても良く通った。特に仲代達矢のそれは流石である。
響きとは残響時間だけが要素ではなく、フレゲンシー・スペクトルが問題だ。
つまり音の周波数の分布のことだ。この辺りが問題なのである。

演劇鑑賞会でいつも気になる事がある。
席詰めと客の騒がしさである。
私語が大層得多く喧しい。
舞台で演じ始めても私語が絶えないのには耐え難い思いをすることがある。
これは音楽と違って緊張感を必要としないからかも知れないと思った。

炎の人 つまりヴィンセント・ヴァン・ゴッホの半生を描いたものだ。
ゴッホが絵を本格的に描いたのは晩年の10年間ほどと言うから驚きである。
あの時代はゴーギャン、ロートレックなどそうそうたる人々が画壇を賑わしていた。
ことにゴーギャンとは共に暮らしたこともあるのだが、余りにも近しい故に
又ゴッホの狂気故にたもとを分かつことになった。

劇はゴーギャンが炭鉱労働者の窮状を救うべく、伝道師として活動するところから始まった。
いつの時代もそうであるが、常識を少しでも外れると異端視される。
正義が正義でなくなるのはいつの世も同じである。

仲代達矢の体当たり的演技に吸い込まれながらも休憩までに随分疲れを覚えた。
彼の声量と大振りの演技の所為だろうか。

休憩後最後尾の補助席に席を移した。
なんとなく落ち着きを取り戻して後半は演劇の流れにほぼ自然に身を委ねることとなった。

ゴッホが日本の浮世絵に憧れたこと、そして影響を受けたことは承知であったが、
あらためてこの演劇の道筋の一つになっていることを感じた。

舞台の大団円 
陰の声で当時のオランダやフランスではほとんどゴッホの才能と作品を認められることはなく、
絵で暮らしを立てるなどほど遠く、弟テオの献身的援助に支えられていた。
一方日本においても青木繁、佐伯祐三なども極貧にして短い生涯を終え、
決して世は認めなかったことが、ナレーションされた。
この事は実に痛烈である。
今の世だって大なり小なり同じことが有るのでは無かろうか。
権威がまかり通って真実が歪められる世はいつ克復できるのであろうか。
カーテンコール
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by tomiot3 | 2010-11-29 21:00 | 文化・芸術 | Trackback | Comments(0)

最晩秋は忙し

今日もいつもより寝坊してしまった。
夜が白みはじめて居るではないか。
ガバッと跳ね起き、支度して1時間10分の予定でオイチニオイチニ。
腕を90度に曲げて後ろに引くことを意識して歩くと肩胛骨が動いて
足の進みもそれにつれてとても良くなる。
腕を90度に曲げているとそれだけでも運動消費エネルギーが2,3割アップする。
今朝は充分明るかった。雨にも遭わず時速5.8キロで歩いた。
砂丘のJ-1ポイントは欠かせない。
ここからの眺めは毎日確認せずにはおれないのだ。
波は比較的穏やかな方かな。
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又イノシシ君か?
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夕方の落日は実に早い。17時過ぎ3便が入ってきた。カッコいい。
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この後10秒後には逆噴射音が轟いた。
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明日はいよいよ移転だ!
すっかり移転準備が整った。
作業の邪魔になるカバーが外され丸裸のD51
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by tomiot3 | 2010-11-29 21:00 | 自然・環境・緑・災害 | Trackback | Comments(0)

若桜鉄道 隼駅

ライダー隼ですっかり有名になって聖地とまで言われる隼駅。
その隼駅に電気機関車がやって来たと報じられた。
早速確認に行ってみた。
なーるほど!EDなので動輪が4個だが随分小型の電気機関車だ。
北陸鉄道で最近までラッセル車を動かしていたそうだ。
昭和29年製と有るから思ったより古くはない。
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それにしても普段の隼駅はさびしい。
何も無い!もうちょっとなんとかならないかな-。
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線路は続くよどこまでも
鳥取方面
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若桜方面
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ついでに一つ若桜寄りの安部駅にも行った。
ここはパークアンドライドミニ版か、何台かの車が駐まっていた。
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若桜方面
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鳥取方面
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かって寅さんロケが行われた
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待合に寅さん?
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若桜線は木造駅舎が残っていてそれなりの雰囲気を保っている。

若桜線は兎に角乗降客を増やすことだ。
沿線はすっきりしているが、線路両脇に桜を植えたらどうなるか考えている。
隼ライダーはもちろん有り難い、だがいくつもの複合魅力を創らないとね。
それにお店の類は全くと言って良いくらいだからこれも問題だ。
僕なりの腹案が有るのだが。
自治体と住民が協力し合っての基本がまず必要かも知れない。
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by tomiot3 | 2010-11-29 21:00 | 交通・鉄道・LRT | Trackback | Comments(0)

晩秋最後の日本晴れか

予報の気温は3℃だったが、実際は7℃、
早朝は時雨れていて放射冷却にならなかった。
夜が明けるに従って、晴れ間が徐々に広がり
10時頃には紺碧の空となった。
早朝5時台は真っ暗、6時を過ぎて空が白みかける頃、雲間から星がポツン。
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鳥取港の赤の航路標識が明滅する。
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徐々に黎明
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若い男性が自転車を置いて砂丘に入ったようだ。
10数分ほど前トンネルを潜って砂丘に向かっていた。
どこからやってきたのかな-。
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20分も経過するとこんなに明るくなる。
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山脈の稜線がくっきりと区切りをつけて
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10時頃となると360度紺碧の空になった。
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遙かなる大山がうっすら浮かび上がった。
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こどもの国D51情報 移転を待つばかりになった。
カバーが外されお釜や汽笛がむき出しになった。
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by tomiot3 | 2010-11-27 21:00 | 自然・環境・緑・災害 | Trackback | Comments(0)

裂帛の気合い

時雨れている朝、傘が必要なウオークだった。
傘をさすと一方の腕がふさがってしまうのでバランスの取れた歩行が出来ない。

出かける頃は生憎の天候でもあるので、しばらく真っ暗闇を歩くことになる。
電光と遠雷がだんだん近くなってきた。
真っ暗闇が一瞬の電光で明るくなる、でもそれは瞬きの間よりも短い。
砂丘トンネルを潜った頃から又雨が降り出した。
ピカッ ドーンガラガラ まだ数秒の間がある。
砂丘信号に到達したとき、ピカッと白く強い閃光、2秒くらいでドドドーンゴロゴロ。
やーたまげた。傘をさしているので急いで安全な場所に移動、
自然の物には敵わんよ。
雷鳴を聞くといつもそんな事を考える。
砂丘は沈黙を保っていた。
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終日時雨れた模様の中、
砂丘こどもの国ではD51の移転のための解体作業が続けられている。
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移転先も準備完了、元の場所から100メートル余りの移動となる。
総重量は70トンを超えるそうだから、いずれにしても
四分割されクレーンでつり上げて移動されるのだろう。
移転先
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D51 303 昭和14年川崎車両製造、71歳だ。
移転は30日10時頃からだと聞いた。
 
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by tomiot3 | 2010-11-26 21:00 | 自然・環境・緑・災害 | Trackback | Comments(0)

レナード・バーンスタイン追憶

昨日「佐渡裕バーンスタインを語る」がハイビジョンで放送された。
その中で語られた初来日のこととバーンスタインが体調を崩して急遽帰国した話は
大変身近なこととして僕の心を揺さぶった。

初来日はニューヨーク・フィルと1961年4月、大阪での演奏会はサンケイか毎日ホールだった。
当日のプログラムを探したがすぐに出てこなかった。
曲目はバルトーク/管弦楽のための協奏曲、ベートーヴェン/運命、
それにもう1曲ぐらいは有ったかな。
若いバーンスタインがフォルテのとき指揮台で飛び上がるのがすごく印象に残っている。

バーンスタインは音楽教育にも力を入れ、札幌PMFを立ち上げた。
1990年札幌PMFを終えたバーンスタインはかなりの疲労の様子だった。
誰にも明かしていなかったが末期ガンだった。
疲れた表情もそうであるが、声もガラガラで明らかに様子がおかしかった。

その後、ロンドン交響楽団との日本公演、東京で2公演を済ませてから
急遽帰国してしまった。体調が限界に達していたことを後から知った。

大阪ザ・シンフォニーホールでの公演を聴く予定だったが、
代役として常任のティルソン・トーマスに代わった。
この時7千円のキャッシュバックがあったことが忘れられない。
だから最後のバーンスタインを聴くこと叶わずとなった。
帰国後の8月19日にボストン交響楽団を指揮してブリテンの「ピーター・グライムス」
より「4つの間奏曲」とベートーヴェンの「交響曲第7番」を演奏した。
これが最後の演奏会となって、10月14日ニューヨークにて永眠した。
(1918.08.25~1990.10.14)

愛弟子の佐渡裕はバーンスタインの意志を引き継いだ。
最後バーンスタインが帰国の途の空港で ビッグ グッバイ と言って消えたそうだ。
佐渡裕はこの時初めてこれが永遠の別れだと悟ったようだ。

バーンスタインとウイーン・フィルの蜜月も印象深く、
ベートーヴェン全集は大事な宝となっている。
又マーラー演奏にかけては、同じユダヤの血が成せるのだろうかと思うほどに
もの凄く粘っこく、ロマンチシズムの極致とも言えるマーラーである。
同時に彼は日本の能に魅せられていたと言うから、
極限までに動きを抑制した能の心で表現していたのかも知れない。

あるとき、ウイーン・フィルのコンサートマスター、キュッヒルさんに
指揮者のことについて尋ねた。
バーンスタインについてどうですか。キュッヒルさんの反応は余り芳しくなかった。
やはりアメリカ人のバーンスタインとはどこかで違和感が有るのかなと感じた。
“一番どの指揮者とやりたいですか”これには明確にカルロス・クライバーと返ってきた。
ドタキャンされてもやはりクライバーは別格だったようだ。
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by tomiot3 | 2010-11-26 21:00 | 音楽よもやま | Trackback | Comments(0)

人力車日本一周 楽しからずや

昨日の新聞の或る記事に目が留まった。
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昨年のある日(いつの日だったか探せば分かるだろう)砂丘のこどもの国信号の向に
男女が曳く人力車を見かけた。
男性が曳き、女性が後押ししていた。
女性を乗っけて男性が曳くとあるが、
上り坂はそうはいかないのだろう。
その何時間か後に今度は鳥取市内で見かけた。
この時も女性は歩いていた。
何となくうらやましくロマンチックに写った。

日本一周7千キロ、良くやったネー。
途中で意気に感じて婚約したという彼女も偉い。
22日、出発地の伊勢でめでたく結婚式を挙げたそうな。
おめでとう!

男性は山田洋平さん(32)東京都出身、女性は中川水帆さん(28)東京都

僕も1年に7千キロ前後は歩いているが、これは素手でのこと。
人力車を引いておまけに彼女を乗せてとなると・・・
いやいや恋する人を乗っけていればそりゃー楽しいかもね。

でもお金はそれなりに要っただろうに、要らぬお節介か。
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by tomiot3 | 2010-11-26 21:00 | よもやま・つれづれ | Trackback | Comments(0)