風邪の行進
新年早々に我が体内ナビゲーターが狂ってながびーてしまった。
3日頃から兆候を感じていたんだけど・・・。
午後になると夕方に向けて熱気を感じるんだ。
そして夜中にピークに達するという具合。
3日から手持ちの解熱剤を一錠服用すると朝は治まっている。
この錠剤も6日で無くなってしまった。
案の定、7日は翌朝に成っても余り熱が下がらない。
1日我慢して自力で治るのを期待したんだけど、
とうとう深夜に39℃超、咳き込んでくる、終夜眠られない夜になった。
8日午前意を決してかかりつけの内科医へ。
胸レントゲン撮影でも肺、気管支に影は無いという。
採血結果もほぼ正常、イン不エンザ検査も陰性。
節々の痛さもなくてインフルエンザではないと思っていたので先ずは安心。
細菌性による炎症だろうちと念のため抗生剤の点滴をして貰い、
解熱剤と咳止めを処方して貰って終わり。
その夜は37℃台担ったものの咳が酷くて。
日に日に熱は下降して恢復基調、だが咳が治まらないので夜眠られない時間帯がどうしても長引く。
11日朝は36℃前後つまり平熱になった。
だが咳が止まらないのと、診て戴いた翌日先生がわざわざ電話を下さったことも有って、
午前医院へ、三種類の咳止めを再処方して貰った。
“ご家族に喘息の人は居ませんか”
“両親がそうだったのと7人兄弟姉妹のうち僕だけがその気は余り無いです”
“その兆候が出てきたのかも知れませんね”とおっしゃる。
本当はそうなのだと思った。
昨年暮れに埼玉春日部に住んでいる2番目の82歳になる姉が、
“私は引き継いでいないと思っていたのにこの年になってから喘息が出てきたよ、
やだねー”と言っていた。
と言っていたのを想い出した。桑原桑原。
両親や長姉の苦しそうなの散々診てきただけに気を付けねば。
余談だが春日部の姉は老人慰問したり、今はパソコンを習っているという。
年賀状もそれらしきものが来た。
自分もあちこち満身具合が悪いのに未だボランティアをして、
友だちは10歳くらい若い人たちを選んで、自分の年齢も相当偽っているという。
そしてあちこちに遊びに行ってる。
まったく明るくて楽しい人だ。
この姉とは戦争疎開で田舎で暮らした仲、彼女は女学生、僕は国民学校1年生だった。
苦労話は尽きないけどね。
それでも昨日は食糧品の補給に買い出しせねばならないと言うことになった。
ダウラさんにも岸田牧場のミルクとミルクティー用のアッサムCTCを分けて貰いに立ち寄った。
その折、お見舞いにシフォンケーキ(黒糖)を2ピースいただいた。
奥方が店に出られるようになってシフォンケーキの復活が恵みを呼んだ。
久松山は第一級の寒波に寒そうだった。
昨日と今日に1ピースづつ二人で食べた。
ふわふわのシフォンをキレイに均等に分けて“上手に切って”と褒められる。
トッピングのジャムは昨年の頂き物のプルーンで作ったもの。
このシフォンは絶品だよ。
お陰様で熱気はほとんど感じなくなってきた。
調子にのってベーコンと塩麹豚と聖護院大根、小蕪の中華風に炊いた。
むかしからこの組み合わせは好んで食べていたが、
偶にするとと赤唐辛子を少々添加するのを怠っていた。
でも味が良く染みて風邪で狂った味覚を少しは慰めてくれた。
写真は残りものになってしまった。
寒さは厳しかったが、雪害は無しで良かった。
by tomiot3 | 2014-01-11 20:07 | よもやま・つれづれ | Trackback | Comments(0)