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かって偉人が居た

19年前の17日5時46分52秒、鳥取地方でもドングラグラっと来た。
まだ就寝中であったが間髪を入れず“動くな”と声を発した。
6畳の間であったが、落下や転倒物が無い限り下手に動くとままずいと思った。

やがてそれがただ事で無いことが明らかになるのだった。
神戸地方の震度速報が出ないことに先ず首をかしげた。
そしてNHK住田アナが帰省中の芦屋辺りから中継をはじめたが、
当初は“大したことないようです”だった。
そのうち西の神戸市辺りから煙が立ち上りはじめ被害の甚大さにおののくようになった。

そして3年前の3.11、見たこともない大津波が街や村を呑み込む様に恐怖した。
地震津波に加えて福島原発の事故が報じられるに至っては地獄の様相であった。

神戸の震災復興は目に見えて早く見えた。
ところがよーく検証すればするほど、
復興の姿は個人個人の復興とは無縁の場合があることを知るのである。
また公の復興でも長田地区に見られるようにハードが復興しても人々の定着未だ成らずもある。
やはり手法に課題があったと言わざるを得ない。
東北でも拙速又は遅速による復興への妨げも多く見聞きするところである。

今、注目し学ぶべき人として江戸時代の米澤藩主上杉鷹山(1751年9月9日 - 1822年4月2日)、
『なせば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり』
若干17歳で九州鍋島藩から大赤字で藩取りつぶし寸前の米沢藩に養子として迎えられ藩主となった。
19歳の時江戸詰めから帰藩し、抵抗勢力と闘いながら藩改革を断行した人である。
自らリードオフマンになって農業振興、産業勃興、教育改革による人材育成、そして福祉などを行った。
農民や下級武士を分け隔て無く扱い、なかでも女性を養蚕、米澤織りに活用して
復興に役立てるなど、まさに民主主義や女性登用のさきがけであった。
鷹山の思想の根本“国家は人の命を守るための装置である”と言っている。

近代の明治以降に目を向けてこの様な思想の政治家がいただろうか。
現代の政治、ことに安倍政権にはこのような事は微塵にも感じられない。

今の政治家の多くは戦争を知らない。
知ってはいても支配し戦争を主導した側の子孫が政治家となって居ることである。
安部氏などはその典型で我々のように一国民として戦争を体験していない。
だから視点というか出発点が違うことは明らかで有る。
また他の大臣の多くはそうで有る。
だから靖国靖国と言う一因でもあろう。

原発再稼働と重視、憲法改正、特定秘密保護法、TPP、その仕上げとして靖国参拝。
民は国家のためにあると言わんばかりである。いや言っているのである。
鷹山が家督を譲るにあたり、藩主の心得を伝えている。
○国家は先祖から子孫に伝えるところの国家であって、自分で身勝手にしてはならないものです。
○人民は国家に属している人民であって、自分で勝手にしてはならないものです。
○国家と人民のために立てられている君主であって、君主のために立てられている国家や人民ではありません。

次ぎに注目するのが田中正造である。
約100年前、明治から大正に駆けて足尾銅山鉱毒事件で我が身を顧みず世に訴えた。
富国強兵策の明治政府は徹底的に民権運動や民衆運動を弾圧した。
国策という大きな壁である。
テレビドラマで『足尾から来た女』が2回にわたり放送されるので興味を持って観る。

国策という化け物は民をいため、民を戦争に駆り立てかり出し、その責任は取らない。
近くては戦後の復興という名の下に電源開発に力を入れ、大ダムをはじめ大火力を造ってきた。 
その究極が原子力発電である。
低コストと安全を売り物に中曽根政権の時に始まり、
あっと言う間に気がついてみたら54基も出来ていた。

そして3年前の3.11の地震津波の余波を受けて、いとやすく福島原発事故となった。
地震つまみに加えて、原発事故は収拾のメドの立たないまま今日に至り、
将来にわたって不安材料を抱えた日本国となった。
ふるさとを失い、人生を台無しにされた人々の保障なんてできっこないのである。
金銭的な保障ですら出し渋りが目立つ昨今、その様な仲で再稼働が叫ばれ、
原発新設まで語る現政府や政治家は一体何を考えて居るのだろう。
低コスト神話は破れたり。この現実を直視せよ。と叫ぶ。

現代で最も信頼を寄せている人は経済評論家内橋克人氏である。
先の述べた現安倍政権の政策にもの申している。
その視点はあくまでも民であることに共感している。
人間を軽視する数々の政策や方針にもの申しているのである。
人間が大切にされないのは戦前から少しも変わらなく、
原発再稼働と重視、憲法改正、特定秘密保護法、TPP、
その仕上げとしての靖国参拝等だと痛烈に批判している。

J.F.ケネディ元大統領は、日本人で尊敬できる人は誰と尋ねられると
上杉鷹山を上げたという。
これは現駐日大使ケネディさんも語っているようだ。
日本人ですら知らない人が多い中、よく研究されていたものだと感心する。
そう言えば大統領就任演説の
『国民は国家に何をしてもらえるかでは無く、国民が何を成すべきか、何ができるかである』
と言う意味のことを演説した。これは強烈な印象だった。
この演説でケネディのファンに成ったのだが、
今考えると多分に上杉鷹山の思想が生きているように思えて成らない。

by tomiot3 | 2014-01-17 18:43 | よもやま・つれづれ | Trackback | Comments(0)