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C・アバド氏を悼む

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去る20日にみまかった巨匠クラウディオ・アバド。
イタリアはミラノ出身、1933年音楽一家にで生まれ、ウイーンのハンス・スワロフスキー二師事したのが後にウイーンで活躍する素地となったのだろうか。
1960年にミラノスカラ座で偉大な指揮者のスタートを切った。
1971年からはウィーン国立歌劇場で定期的に指揮者を務め、1986年~1991年はウイーン国立歌劇場の音楽監督に就任、この間ウイーンフィル&も関係を深めた。1979年から~1988年の間はロンドン交響楽団、そして1989年には死去したヘルベルト・フォン・カラヤンの後任としてベルリン・フィルハーモニー管弦楽団芸術監督に選ばれた輝かしい実績を残した。

アバド氏は胃がんを患い2000年に一時回復した。だがここ数か月で病状が極度に悪化し、最近は仕事をキャンセルしていた。その中で今秋ルツェルン祝祭との東北公演が中止されていたが遂に帰らぬ人となった。

わが国には1973年以来、ウイーンフィル&ウイーン国立オペラで3回、ベルリンフィルと5回、ミラノスカラ座と1回、ヨーロッパ室内管弦楽団と2回、ルツェルン祝祭管弦楽団と1回来日している。

僕は3回アバド氏の指揮によるウイーン・フィルとウイーン国立オペラを鑑賞した。
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1987年のベートーヴェンチクルスの最終公演として「第九」を聴いた。
サントリーホールが前年10月にオープンしその記念公演の最終として演奏された。

この演奏が終われば空港に駆けつけて帰国するというものだった。
その所為でも有るまいが、それはそれは凄い演奏だった。
これが第九だと思った。ことに第三楽章の美しかったことは今でも忘れられない。
その前日に小ホールでウイーンフィル友の会の交流会が行われ出席した。
この時ウイーンフィルの楽団員はもとより、アバド氏や歌手陣も出席され、貴重な想い出となった。
“マエストロ”と声をかけた。
その時のフォトを探したがこの度には間に合わなかった。
アバド氏は比較的小柄な方で、上の写真のような印象だった。
表の記録意外にもう一度ウイーンフィルとの演奏会を聴いた筈なんだが?
というのはサントリーホールで公開練習を聴いたのが表以外のコンサートだったから。
今取調中。

アバド氏は多くの人々の絶賛を浴びていたが、中にはアバド氏を酷評する人も居た。
それはヴァイオリニストのギドン・クレーメル氏である。
アバドとマゼールはまるで無能扱いとして自伝に書いているそうだ。

ヴァオリストのビクトリア・ムロ-ヴァとはウイーン滞在中4年間に亘って不倫関係にあったという。
そして女児をもうけたという。これは知らなかった。
ムロ-ヴァは一度だけリサイタルを聴いたことが有るが、
バッハの無伴奏が素晴らしかった。

我が小澤征爾氏とはセイジ、クラウディオという中だったそうな。
ほぼ同年代、我が小澤征爾氏にはまだまだ活躍して欲しい。

近年はルツェルン祝祭管弦楽団のコンサート模様をBSプレミアムで放映されるのを楽しみにしていた。
氏の指揮するブルックナーやマーラーが楽しみだった。
記録を辿ってプレイバックしよう。

いずれにしてもだんだん寂しくなる。
だが若い力もむくむくと台頭している。
これが輪廻というものか。
ご冥福を!

by tomiot3 | 2014-01-23 20:12 | 音楽よもやま | Trackback | Comments(0)