3月11日14時46分と今
あれからとうとう3年が経ってしまった。
メディアは角度を変え、視点を変えて報道しているから
今さらながら新しい知識も入ってこようというもの。
しかし何処までが真実か、疑念もある。
その年は震災後の6月に手術が行われ入院を丸一ヶ月体験した。
入院の間、東北復旧、エネルギー問題を思いつくままにあれこれ書き留めた。
がれき処理、高台移転、平地の利用、震災復興住宅などを色々勝手なプランニングをした。
いわゆる入院時構想である。
結果として3年経っても復旧は儘ならず、進捗率は
高台移転が5%、震災復興住宅に至っては3%だという。
一体何が齟齬(そご)してこうなっているのか。
多くの方が指摘しているように官民の人材人出不足、
そして資材不足、追い打ちを掛けるように資材高騰等が上げられている。
発注しても落札しない例が余りにも多く見られる。
加えて一番の原因はまだ他にもあるようだ。
13兆を超える復興予算が消化できないのだ。
年限が5年と限られる災害予算の執行、各自治体は少しでも多くの予算獲得に
走るのだが、住民との合意形成、用地買収がままならないなどにより執行できないで先送りになってしまう。
遅れによる住民の不安は募るばかりで、人口流出はもとより住民意識の変化も大きい。
震災の規模や実態を最大限に考慮して、ルールの見直しは出来ないものだろうか。
安倍首相は来年三月までの目標を発表したが、果たしてどうか、
疑問を呈する人が居ても可笑しくない。
先般、安倍首相が完成した震災復興住宅を視察した。
そのニュースを見て、かって考えていた復興住宅のイメージと合わないと思った。
震災復興住宅の進捗がままならない現状はどうなのか、
そして如何なるビジョンの元に復興しようとしているのか。
まず國土交通省のイメージに次のように書かれている。
省エネルギーに配慮した仕様、再生可能エネルギーの活用など環境に優しく快適な住まいづくり・災害時の一時的エネルギーの確保や先導的モデル事業としての展開を図り、魅力ある地域の形成 とある。
住宅の復興は第一であるが、わが国のエネルギー政策の一貫として
復興に関連するエネルギーの在り方はわが国の将来に大きな影響を与える。
単なるお題目に終わっては居ないだろうか。
次ぎに被災各県の復興住宅プランを探ってみた。
岩手県は岩手、宮城福島の被災三県はそれぞれの住宅プランを提示している。
岩手県
個建ての基本形、数種のアレンジが成されている。
宮城県
これも一例
福島県
加えて復興庁のプランの一例
以上は従来の公営住宅の在り方を踏襲することなく、それなりの理想型を描いた物だと思う。
しかし、思った。
再生エネルギーに関しては、ビジョンに欠けている。
もっと突っ込んだプランが有っても良いではないか。
せいぜい太陽光利用というに留まっている。
再生エネルギーとして太陽光パネルの採用に終始している事が気掛かりだ。
太陽熱の直接利用、無尽蔵で安定した地中熱に言及されていないのが残念だ。
構想イラストには学校や体育館、集会所らしきものもあるが、
これなどは最も肝心なところで、いざというときに電源喪失になってもその他燃料に頼ることなく、
最低限の熱負荷に耐えられるのだ。
3年前の震災の時に既にそう思った。
避難所としている体育館に地中熱利用できる設備さえ有ったなら寒さに震えることはなかっただろう。
また夏場であれば猛暑に絶えることも出来るだろうと。
また震災復興地にバイオ利用を含めたゴミ処理施設を包含したネルギーセンターとして、
発電、熱給の機能を持たせる構想が欲しかった。
いわゆるローカルエネルギーの確立である。
入院時構想では、がれき処理を含めたエネルギーセンターをも構想した。
東北震災地のエネルギー再生の在り方が、
わが国の再生エネルギーの将来の指針になって、
ひいては脱原発を意図したエネルギー政策を占うことが出来ると考えた。
だが、現状では失望に転じている。
更に東北に望んだのは理想型に近いまちづくり、村づくりを期待した。
単なる公営住宅ではなく、個建て住宅だけの集合体では無い「づくり」を期待した。
それは子どもから高齢者に居たる、そして障害者までを含めた総合的な「づくり」だ。
その為の居住空間とエリアは最も重要なのだ。
普通単家族、二世帯、単身、などの混合家族構成に柔軟に対応できるものであること。
老齢化すれば2LDKや個建て住宅は不要となるので単身者用の1lDKに移る。
逆に若年夫婦で家族構成が増えればILDK~2LDKに移るなど柔軟活用できる様にする。
そしてその地域は保育・幼稚園、老人施設、医療センターなどを包含し、
加えてスマートグリッド化されたエネルギーセンターでエネルギー供給を行うというものである。
もしもこれらが実現すれば、脱原発の暁にも日本はおろか、世界のパラダイス的な
「まち・村づくり」が実現すると考えた。
そして住民の足の確保として、デマンドバスや鉄道、場合によってはLRTによる
徹底的にシェアされたネットを組むのである。
更に個人移動が必要な部分はエネルギーセンターを源とする電気、水素などにより
これまた徹底的な化石燃料を排除した電動車を移動手段とする。
これを更に強化するエネルギー源として、沖合洋上風力と波高を活用し、
その風力基地は魚礁にも活用し水産業への振興をも図るというもの。
以上は私の描いた東北地方復興で有った。
脱原発、脱輸入燃料への道は容易ではないが実現できる。
これが私の信念と確信である。
原発は恐い。福島原発は現実に何も解決していない。
この厳しい現実を識る者は、決して原発再稼働や推進を口にすることは無いだろう。
追記
思い起こすのは関東大震災時の後藤新平指揮する復興である。
その一例として、同潤会アパートが都内(当時は東京市)各地に立てられた。
中庭を配したり、コミュニティースペースが持たれるなど当時としては画期的なもので有った。
実際には後藤新平構想は、議会や地権者などの抵抗で頓挫した部分が多いのだが、
都市計画だけをとってみても目を見はるものが有った。
昭和通りはその構想の片鱗というか、唯一の形として今も残されている。
やはり圧倒的指導者が必要だというひとつの例である。
by tomiot3 | 2014-03-11 20:30 | よもやま・つれづれ | Trackback | Comments(0)