人気ブログランキング | 話題のタグを見る

新幹線50歳 

新幹線50歳 _e0166734_2139084.jpg

新幹線50歳 _e0166734_21413570.jpg

幾度か新幹線からの富士山に感動したが、せめてもう一度見てみたい。
初めての眺めに感動した妻にも見させてやりたい。
新幹線50歳 _e0166734_21425980.jpg

昭和29年(1954)10月1日開業、この直後の10月10日に東京オリンピックが開幕。
日本国民は相次いで感動の渦に巻き込まれた。
夢の超特急と言われたように、みんなの夢を乗せ運ぶ事になった。

幼児期・少年期を東京で過ごした戦前戦中、物心ついた時には、
弾丸列車が出来るんだって!と言う親や兄たちの会話に子どもなりの夢を描いたようだ。
まことよーく覚えている。
東京-下関間を時速200Kmで結ぶ弾丸列車は、昭和30年代に発議され、昭和15年には日本平や、
新丹那トンネルが着工されていたそうだ。
これはいわゆる新幹線に引き継がれる事になる。
用地買収も相当進んでいたようで、戦後の新幹線建設を容易にしたという。

飛行機も好き、電車も電気機関車も好きの少年時代だった。
これはその後の鉄道好きにつながったようだ。
だから、SLも好きだが、幼児期→少年期の記憶は電車と流線型の電気機関車がこびりついていた。

毎日新聞の記事が目に入った。
戦中の海軍の技術者で飛行機の開発にたずさわった三木忠直さんという人の事だった。
特攻グライダーの「桜花」の開発に当たった人で、母機に吊されて敵艦に向かうのだが、
重すぎて母機の加速ができず、ほとんどは撃墜されたという。
その犠牲者は400人を超すという。
戦後はもう戦争に使う兵器はつくりたくない。
そこで国鉄の技術研究所で新幹線の開発に当たったそうだ。
新幹線の空力学的流線型はそこから生まれたのだろう。
その他多くの兵器をつくっていた官民の技術者を国鉄は吸収したという。
必ず人を殺してしまう兵器から一転して、人を一人も殺さない新幹線へ。
安全面には特に力の入っている新案線。その信念が詰まっている。
万が一、石橋叩いて、等日本の伝統的格言が生きていた。
私も技術者の端くれ、発電所や、空港の航空照明施設の設計を担当したが、
たえず安全には安全を「フェールセーフ」が念頭にあった。

私事ながら
我が夫婦は新幹線のⅠ年半先輩で、
昭和38年4月16日が紆余曲折人生のスタートを切った。
新幹線は今後も発展し、延伸し、スピードアップを図るだろうが、
我が人生はスローダウン、フェードアウトが似合っている。

by tomiot3 | 2014-10-01 21:50 | 交通・鉄道・LRT | Trackback | Comments(0)