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語り部の亡き後

人の記憶に限界が有るだろうことは容易に想像出来る。
先日、第一次世界大戦の最後の生き残りのことが報じられた。
1914年~18年の5年間にわたる戦争は、
そもそもオーストリー・ハンガリー帝国のフランツ・フェルディナント公夫妻がサラエボで襲撃されたことが引き金となった。
戦車を始めとする重火器、機関銃の組織的利用、飛行機、潜水艦の登場など、
大量殺戮の始まりであり、それは20年後の第二次世界大戦1936年~45年へのつながりとなった。
第一次世界大戦の悲劇や惨劇は言い伝えや映画などの間接的知識として継承を受けているに過ぎない。
第二次世界大戦は幼少期に体験してはいるが、その実態をどこまで知り得ているかは疑問である。
世界で唯一の被爆国である日本、ヒロシマ・長崎の被爆者ですら語り部達は急速に減っている。
語り部が途絶えた後に、どう我々は語り継ぐべきかは大きな課題である。

先頃、このことに関連してのテレビ報道に考えさせられることがあった。
夜遅く、総合テレビでは、あるロックバンドの賑やかな場面だった。
多くの若者達が諸手をかざし、熱狂している姿だった。
直ぐにEテレに切り替えると「立花隆・ラストメッセージ・核なき時代に向けて」だった。
立花隆はしばらく核への関わりを避けていた時代があった。
若かりし頃、カナダ人の反核学者との交流があって、何十年ぶりに来日を促し、
お互いの交流を再開する訳だ。
カナダは米ソ冷戦時代にカナダに配備された核弾頭搭載の迎撃ミサイル基地が数カ所あった。
若しソ連が核弾頭ミサイルを発射すれば、カナダ上空を通過する。
そのミサイルをカナダ上空で迎撃するというものだった。
迎撃して打ち落とせば、カナダは核の被害を受ける。
そのカナダ人学者は、当時無知だったカナダ中を駆け回り、説得し、
当初、基地撤去の賛成者は僅かだったが、40%台にこぎ着け、カナダ政府は基地撤去したという。
どこやらの国や地方とは違う。
わが国では原発反対がその程度は有っても、現政府は国策を盾に首を縦に振ることは無い。
福島原発の完全コントロール無き今、それでも原発を再角婦させ、使用済み燃料の処理方法を先送りしてまで、
国策を進めようとしている。悪魔の手先。

語り継ぎ継承すると云う事の難しさ。
番組の中で、一つの希望を見いだした。
十数人の女子学生達は、立花隆の話に耳を傾け、持論も展開する。
その眼差しは実に真剣で聡明さがにじみ出ていた。
一方でロックに浮かれている若者達とは対照的な光景に安堵もした。
例え被爆体験者が存在しなくなっても、語り継ぎ行くことは可能で有ると確信した。

日本は今危機に向かいつつある。
戦争をできる、する国に変わりつつある。
国民がそれに気がついた時にはもう遅い。







by tomiot3 | 2015-02-16 20:22 | よもやま・つれづれ | Trackback | Comments(0)