人気ブログランキング | 話題のタグを見る

一路 音楽写真家 木之下晃お別れ会へ 24日

いよいよメインイベント
公共の宿の1泊目が明けた。
森の緑に囲まれ、小鳥のさえずりも聞こえてくる。
宿の周囲をめぐらす道にはウオークの人、走る人、自転車の人、そして通勤の人などがちらちら見える。
ここはさいたま市、以前の大宮市、浦和市、与野市が大合併して今の名称になった。
思い起こせば1995年、今から20年の昔、与野市の時代に《彩の国さいたま芸術劇場》にやってきた。
埼京線に初めて乗り与野駅に降り立った。
前年にできたばかりの公共施設で、総収容は2000席だが、音楽ホールは604席で手頃。
そこで当時世界最高と謳われたアルバン・ベルク弦楽四重奏団を聴いた。
この時、ホールの外の通廊では、世界の劇場写真が多く展示されていた。
それが木之下晃「世界の劇場写真展」「ドイツ・オーストリア編」だった。
この時初めて音楽写真家木之下晃氏を意識した。
そしていつか鳥取にお招きしようと企てた。
後年それは梯剛之ピアノリサイタル倉吉公演に来て頂くことにつながった。
いつか鳥取で写真展をと、倉吉の間隙を縫って木之下氏を鳥取の県文館にご案内した。
しかしながら、ここなら十分できますというお墨付きを戴いたまでとなった。
思い起こすと己の無力さを感じるのみである。

さーて、東京へは10分ほど歩いて埼京線の中浦和駅で乗れば良い。
途中、別所沼公園では相変わらずウオーキング、ランニング等に市民が憩っている。
完全に市民のための公園、将に都市公園とはかく有るべきか。
沼には噴水が噴き出し、池のほとりでは釣り糸を垂れる人も居る。
緑豊かで、なんとのんびりとした世界だろう。
一路 音楽写真家 木之下晃お別れ会へ 24日_e0166734_20024549.jpg
中浦和高架駅のホームに降り立つと大宮の高層ビルがニョキニョキ。
一路 音楽写真家 木之下晃お別れ会へ 24日_e0166734_20030743.jpg
電車の待ち時間は5分ほど、その時すーっと高速で新幹線みたいな電車が通り過ぎた。
新幹線みたいだ!と妻に言った。“新幹線じゃ無いの”
しばらくして・・・そうだ新幹線は一部埼京線に沿って走っているんだ。
上下ひっきりなしに色とりどりの新幹線が通過して行く。
東北、山形、秋田、上越、北陸新幹線全てがここを通過するんだ。
妻に子どもみたいといわれながら、カメラの性能に苛づきながらパチパチした。
シャッターを押した瞬間に同期しない。北陸新幹線も見た!
一路 音楽写真家 木之下晃お別れ会へ 24日_e0166734_20040476.jpg
一路 音楽写真家 木之下晃お別れ会へ 24日_e0166734_20034328.jpg
一路 音楽写真家 木之下晃お別れ会へ 24日_e0166734_20032444.jpg
9時は回っていたが、まだ通勤者が多く、押し合いへし合い。
兎に角どこもかしこも人だらけ。
地下鉄を乗り継いでサントリーホール近くのミッドタウンで時間調整。
ドコモを探して電池切れのスマフォの充電、その間近くの星乃珈琲店で時間調整。
チェーン店のせいか珈琲にすこぶるの特徴は無いが、場所柄お客の筋はいいようだ。
一路 音楽写真家 木之下晃お別れ会へ 24日_e0166734_20184809.jpg
一路 音楽写真家 木之下晃お別れ会へ 24日_e0166734_20195915.jpg
ボチボチとサントリーホールへ。
ホール正面のテラスで様子をうかがいながら時を過ごす。
一路 音楽写真家 木之下晃お別れ会へ 24日_e0166734_20510629.jpg
一路 音楽写真家 木之下晃お別れ会へ 24日_e0166734_20511849.jpg
献花の名札
一路 音楽写真家 木之下晃お別れ会へ 24日_e0166734_20514187.jpg
ホワイエでは木之下晃写真集が展示されている。
小山実稚恵氏は勿論、クライバー、グルベローバなどももれなく。
一路 音楽写真家 木之下晃お別れ会へ 24日_e0166734_20515385.jpg
一路 音楽写真家 木之下晃お別れ会へ 24日_e0166734_20550953.jpg
一路 音楽写真家 木之下晃お別れ会へ 24日_e0166734_21015355.jpg
いよいよ小ホールにて14時に始まる。
司会は次女の貴子さん。ラジオの仕事をしてらっしゃった。
経過と趣旨説明がやや有って、小山実稚恵さんの献奏が行われた。
ショパン、なんとしめやかで温かい音楽だろうか。
木之下さんが微笑んでいらっしゃる。
写真協会長などの回想などのお話などがあって、淡々とお別れ会は終わる。
とてもよい会だった。

会の後はサントリーホールの全面協力で軽やかな宴席。
最初に喪主で夫人の登茂枝さんにご挨拶した。
覚えていて下さった。
鳥取では撮影以外にたくさんの楽しい想い出があります。
砂丘も見せて頂いたし・・・・
と言って下さった。
そのあと長女の聖子さんにもご挨拶した。(聖子さん、詰まり東京オリンピックだな)
また是非鳥取にいらして下さいとお二人に告げた。
    この写真は大失敗。大写真家の奥様にスマフォを向けるなど大失礼だった。
一路 音楽写真家 木之下晃お別れ会へ 24日_e0166734_21054278.jpg
一路 音楽写真家 木之下晃お別れ会へ 24日_e0166734_21060071.jpg
一路 音楽写真家 木之下晃お別れ会へ 24日_e0166734_21052356.jpg
参加者全員に特別編集された「音楽家写真家 木之下晃 たいせつな出会い」(101P)を頂いた。
一路 音楽写真家 木之下晃お別れ会へ 24日_e0166734_21211931.jpg
一路 音楽写真家 木之下晃お別れ会へ 24日_e0166734_07533590.jpg
このあと、外で待っていた妻を伴って、渋谷へと。
渋谷の人混みはまた格別、外国人の多さに面食らう。
歩き疲れた!様子が分からないまま、値段の割りにどうかと思うソバをくらって、別所糠会館へと引き揚げた。
今日は24000歩近く歩いた。さぞや妻は大疲れだろう。

それにしても、お別れ会でありながら、なんとも心温まる会だったことか。
かって倉吉でのあしかけ三日間のご夫妻との出会いは最高だった。
その時、盟友の浜崎さんには随分お世話になった。
鳥取砂丘に案内して下さったのも実は彼だった。
きっと奥様は覚えていらっしゃるだろう。

これからは膨大な資料等の整理・管理のため「木之下晃アーカイヴス」が行うという。
どの様な発掘があるだろうか。
木之下氏から戴いたもの、購入したもの、いずれも大切な私の財産である。















by tomiot3 | 2015-05-02 21:29 | 探訪・旅 | Trackback | Comments(0)