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憲法記念日に想う

憲法記念日
今の生活、ここ近年の出来事、身近な身の回りの事から憲法を考えて見ようと思った。
憲法改正論者がその必要性を主張する理由のひとつ、憲法が米国から押しつけられた。
果たしてそうだろうか。
明治憲法制定時にも、今の憲法に通じる主権在民の憲法を研究する人がいた。
更に終戦の3ヶ月後には在野の研究者、学者、ジャーナリストの7人が新憲法の研究を始めていた。
民主的憲法草案の作成である。
その中にただ一人、憲法学者鈴木安藏(獄中生活体験)も加わっていた。
明治憲法の改正は必至の中、示されたGHQ草案を更に越えた草案が日本側から示された。
平和主義、言論の自由、男女平等など、その根幹である主権在民が骨となった。
また天皇の統治権ではなく、大権を持たない天皇の在るべき姿も示された。
下記,YouU Tube必見。
日本国憲法の草案はメイドインジャパン

現自民党安倍政権がその典型であるが、憲法改正主張(改正ではなく、現憲法の破棄と国家主義の復活)の
中心は国家主義復活であることは明確である。

悲しいかな、現憲法が権力者たちは忠実に遵守して居るであろうか。
否である。先の安保法案がそうで有るように、沖縄日本復帰後も沖縄は日米安保体制下で、
沖縄住民の求めた主権在民は踏みにじられてきた。

もしも、平和と生存権を保障した憲法を破棄したとする。
そうすれば国民一人ひとりの生存権が保障されるだろうか。
否である。
憲法は飾り物ではない、国民一人ひとりの生存権を保障するのが憲法である。
憲法を改めて、日々の生活と結びつけてみることも必要だろう。
歴史は語る。気がついたときは遅く、後戻りができない。

今日の公共放送は、政治的な討論番組はあったが、国民による公共放送として、
国民に密着した番組構成は皆無であった。
野球や歌謡番組に大切な時間を費やされるのみであった。




by tomiot3 | 2016-05-03 19:52 | よもやま・つれづれ | Trackback | Comments(0)