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おでん屋鼎談

青谷から帰って、大急ぎで街中へ。
今日は乾杯があるから自転車。
しらぬ間にというかいつの間に〈三じじいの会〉と言うのが歩いている。
松岡、浜崎、それに私、ちょっとうるさい三人のじじい、しかし私はじじいと思っていない.せいぜいオヤジだ。
場所は花見橋近く、初音通りに抜けるところと認識していたが見付からない。
それもそのはず、ひとつ若桜街道に寄った露地だった。
カフェ・ラパンの直ぐ裏だった。三家の表札が架かっているだけでまるでおでん屋らしきのれんも看板もない。
今回は私の癌克服5年を理由に松岡さんが仕掛けてくださった。
先ずは、ワインと白いチーズで乾杯。
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おでんは普通は銅のおでん鍋、ところがこちらは伊賀焼きの大鍋。
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聞くのを忘れたが、おでん出汁の温度はきっと低めだと思う。
じっくりゆっくりとしみこんだ出し、拘利と吟味の食材、ちなみにコンニャクは上地(わじ)で栽培している。
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珍しいのはトマトのおでん。
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かんばんは21時なんだが、22時過ぎ、妻からの電話で我に返った。
わいわいの中身は多彩にして深い洞察、ほんと?
終盤、浜崎さんがまたもやクラシック音楽は衰退する.と確信ありげに申す。
私はその度に反論。そんなことはない。
浅い深いは別として、聞く人は増えている.演奏している人も増え、レベルが上がっているでしょ。
今日の青谷だって、ほとんどの人は普段聞いていないようだが、それでも押しかけてくる。
人類悠久の歴史の中で音楽のない世界はない。
中でもクラシックと言われる音楽の源流は、古代人類の歴史が始まってから続いている。
衰退どころか派って発達の歴史をたどっている。
持論だが、ひとつの傾向として、世の権力者は人民があまり理知的になるのを好まない。
古代ローマにして然り、今の日本にして然り。
大衆芸能へと誘導したがる。すると民度は下がる。

以下は鼎談を踏まえて、この投稿をしたためながら考えた。
私の激論だが、公共放送であるはずのNHK、これは現在とみに顕著に政府のプロバガンダになってきた。
そうすると大衆芸能やこれに類する者を多く取り上げる。
歌謡番組、お笑いなどがそうだ。
これは何処に同境目が在るというもので無いから、私ごときには説明できないが、
永年の蓄積、多くの人の思考の結果の吸収などなど、野結果である。
ひとつ重要なのが学校教育における芸術部門の扱いだ。
年々、時鑵子の減少が叫ばれているが、粉の影響は大きい。
更に教員レベルの問題。
算数であろうが、国語であろうがその専門性はともかくとして、
学校の先生方の一般教養としての素養が問題だ。
ほとんど音楽に関心が無く、無知である。
と言うことを過去幾度も実感した。
だからこの様な人たちが子どもに教えていることを思うと、
将来教養豊かな子どもたちを育てるに能わずと思ってしまう。
否、そうでないた教員は確かにいらっるが、ごく少数ではないか。
ことに小学校の合唱コンクールがひとつの例だ。
残念ながらわが県は多分ワーストだと思う。
合唱コンクールはひとつの現象であって、
そうでなくても教員に素養教養があれば、もっと子どもたちは違ってくるだろう。
だから県教委が今後合唱指導の出来る教員を採用すると打ち出し実行したならば、
何年か後には確実に効果が現れる。
よく世では、ハード不要論が唱えられる。
無駄で展望のないハコモノづくりは現に戒められなければならない。
一方、必要不可欠なハコモノは区別して考えねば一派一絡げで暴論になる。
だから本当に必要なハコモノとは、言い続けたい。

てなこと言ってたら、お店にも迷惑かけちゃった。
鼎談とはかっこいいが、実際は口角泡を飛ばし、でもある。
一致点と不一致点、どう折り合いをつけるか、つけなくても良いか、
これは△だから容易では有る。

結論 超楽しかった。
20分ほどこげばわが家だった。
22時35分。お帰りなさーい。





by tomiot3 | 2016-06-19 11:19 | グルメ・食いしん坊 | Trackback | Comments(0)