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ひたすらな不戦への誓い

太平洋戦争が終わって71回目の夏が訪れた。
連日の酷暑に見舞われて悲鳴を上げているが、凄惨悲惨な戦場や、灼熱の無差別空襲、原爆に晒された多くの人々、
アジア大陸や東南アジア諸国民にまで戦争の惨禍を及ぼした事を思えば、
悠々と耐えられることと言い聞かさねばならない。
一年を経過するごとに戦争体験者が減りつつある中、この戦争の事実すら知らない人々が実に多いことに心が痛む。
今戦争の脅威は増しつつあることは、正常な人ならば分かるだろう。
ここ何年かの安倍総理の式辞を分析すると、幾つかの重要なフレーズが消えた。
過去への痛切な反省、すなわりアジア諸国民(ことに中国)への苦痛を与えた事への反省、
さらに不戦の戦いと言う明確な文言が消え、抽象的で間接的表現にすり替えられた。
陛下のお言葉は実に短く、簡潔な言葉ながら深い反省に全てが込められていた。
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戦没者追悼式に出席された遺族最年長101歳の中井佳寿さんの事が毎日新聞に報じられた。
下記に是非お目通しを
 
遺族最年長の中井佳寿(なかいかず)さん101歳の思いが報じられた(毎日)
1945年(昭和20年)8月15日はやはり暑い夏だった。
空襲でわが家は全財産は失ったが、幸いにして犠牲者は出なかった。
両親兄弟が空襲で焼け出され、母親の実家で一家が迎えた8月15日、
実に明確に覚えている。
日本は負けないと教え込まれ、鬼畜米英をやっつけるといきまき、
女性は竹槍訓練までしていた。
大本営発表の戦果は歪められていた。
被害は小さく、相手に与えた打撃は大げさにねつ造されていることなど知る由もなかった。
全滅ですら〔玉砕〕と言う言い方でいかにも英雄行為として讃えられていた。
その後、硫黄島はじめ南の島々の玉砕が報じられた。
きっとまともな人々は、これだけ玉砕が続くことに敗戦を意識しただろう。
子ども心に〔アッツ島玉砕〕は印象に強く残った。
実際にはアリューシャン列島の孤島で圧倒的な米軍に抗する物資も救援部隊もなく、
いたずらに無謀で凄惨な全滅を強いられたのだった。

東京大空襲を筆頭に全国の空襲や米艦載機による機銃掃射など、
決定的には広島、長崎へのピカドンを小耳に挟むに付け、心の何処かで〔日本は負けるのでは〕
と言う不安が支配していたように思う。
正午の玉音放送の意味は直接には子どもの理解を超えていたが、
父親が〔日本は負けた〕で瞬間的に理解できた。
戦争が終わった という安堵感も生まれたように記憶している。
これから始まる生活苦と言うことはまだ分からなかった。

安倍政権になって以来、情報操作の怖さ、不確実な不戦への誓いの破綻、
自民党議員、閣僚の危険な言動によりその脅威は日に日に拡大していると思う。
今こそ国民は目を覚まさないと、気がついたときには遅かった。
という事態に見舞われるだろう。

今日は終戦記念日というのが習わしになっているのだが、
本当は完全に降参した日である。
敗戦記念日である。
そう言わないところに、日本の近代史をキチンと教えない実態が隠されているように思えてならない。
安倍総理は式辞の中で、歴史と謙虚に向き合い と述べたが、
実際には向き合っていないことの実態と乖離している。


by tomiot3 | 2016-08-15 21:09 | よもやま・つれづれ | Trackback | Comments(0)