隼へ行く 遠いふるさとを想う
ウオーキングを済ませてから、田舎畑へと目論む。
畑の前にJAに立ち寄って農業資材を仕込まねば。
ところが天候や土のコンディション、それに日野正平さんのひとり旅番組これ有りで、
すぐさま設計変更。
隼駅に向かうことに。
13時過ぎ隼駅トウチャコ。
駅のまっすぐ突き当たりにあるレストハウス8823へ直行。
黒い土足床の足元がやけに重たい。
ネチョネチョと吸盤で吸いつかれた
“ネチョネチョとやけに靴が重たいですね”
“業者に頼んでいるところです”
ネチョネチョは不潔感すら催す。良くない!
日替わりもあったが、二人ともハンバーグ(豆腐)定食に。
他のお客もかなり、他にもハンバーグが、・・・・
どうやらテレビを観てと言う人たち。
今日のサービスランチとあるが、わたしらはハンバーグランチにする。
夜たび番で隼駅と隼プールが出てきた。
便り主の寺本ゆうじさんは、八頭高校で妻の同級生の一つ違いの弟さん。
そして妻が八頭高校図書館に勤めていたとき、しょっちゅう図書館に来ては話をしていたという。
「ボクは卒業したらブラジルへ行く」と言っていた事を覚えていた。
当時の若者の海外雄飛の一端だったんだろう。
妻は“ブラジルで成功したんだろう”と感慨深げであった。
駅前で正平さんに説明した男性はゆうじさんのお兄さんと同級生だと言っていた。
ということは妻と同級生か。
彼がブラジルに発つとき、皆で隼駅に見送ったそうだ。
なんとも形容しがたい感慨だ。
あれから58年、その月日の重さがずしん。
by tomiot3 | 2018-06-15 22:19 | よもやま・つれづれ | Trackback | Comments(0)