中国合唱コンクールで,ちょっと火が付いた。
合唱への考えと思いをつれずれなるままに綴った。
かなり乱暴な部分もあるがお許しあれ。
合唱と教育
まえがき
今に始まったことでは無いが、合唱役員から遠ざかってから初めて、中国合唱コンクールをしっかりと聴き、合唱の人々の動向をつぶさに観察してきた。
このことで改めて合唱と学校教育の問題について自己考察を行った。
特に注目し、関心を持っているのは中学校と高等学校の合唱事情を知り、教育に果たす役割と実際の学校現場の取り組み、或いは教育界の目指すところ、そして地域による認識の違いについて推察することにあった。
すなわちこの度のコンクールで中国各県の状況を知るまたとない機会であった。
と言っても鳥取県における合唱のレベルを直に確認し,認識することから始まるのである。
中学校部門
本来ならば小学校からの考察が必要であるが、このコンクールでは中学校からなので、義務教育の中学校を知れば、小学校についても十分推察するにたると考える。
今回中学の部に出場した学校は、少なくとも選ばれて出場したのだから、我が県内では合唱に取り組み、レベルも上等の部類と観るのが順当だろう。
隣県の島根県は永くハイレベルの学校音楽が行われてきたことは、多くの方の承知しているところである。小学校から始まって、中学校、高等学校、そして公立、私立のく別なく,ハイレベルを維持している。
わが県では中学校部門が始まった当初からしばらく、部やクラブというものは皆無だった。ほとんどが選択音楽という名称を付けていた。他県から見るとふしぎだったようで、尋ねられたものだ。“選択音楽”ってなんですか。“いやー選択授業の生徒が合唱に取り組んで出場したんです”納得はしてくださるが、へーという感じであった。中学部門が始まった食の3年間は、各県理事長推薦で全国大会に出場できたから、全国の方々からも同じ質問を受けていた。
形や名称は本来どうでも良いことだが、教育界つまり教育委員会や学校当局の合唱への取り組みと理解度とが相関関係にある訳である。
ハッキリ申せば、それらの機関は全く合唱の教育における効用も必要性も理解していなかったと言うことだ。
この度の大会では、合唱部、あるいは音楽部合唱クラブと名乗った学校と,旧来の名乗らない学校が一校だけ出場した。これは大変な進歩ではないか。少しは合唱取り組みの学校が増加傾向に有り、それに連れて授業の一貫では無く、部活動として合唱に取り組んでいると言うことだろう。
だから今後の学校自体の努力や合唱連盟の支援によっては、まだまだ拡大発展の余地を残していることを知る訳である。
合唱レベル、イコール教師のレベル、これって分かりますか。生徒達は島根県であろうが広島県であろうが、鳥取県であろうが、元々レベルの差なんて有るはずが無いのである。どこで差が付くかと言えば、指導者つまり学校では教師の能力如何に係っている。
広く言えば保護者も関係あるだろうが、直接指導する教師の役割は9割或いはそれ以上だろう。
それでは教師のレベルは一体どこからもたらされるものか。その根源は教育委員会の音楽への理解度と教員採用におけるコンセプト、採用方法が重要である。合唱を少しでも認識していれば、合唱の指導できる教師を採用するであろう。そして採用された教師は教育委員会と学校の理解が先ずは必要である。それともう一つ重要なのは教師自体の合唱音楽の理解と情熱であろう。その上で生徒に対する吸引力とたゆまぬ研究による自己研鑽、それが合唱力につながれば、自ずと生徒の畏敬を集め、惹いては教育効果が上がることとなる。今まで他県では有るが、その様な教師を幾人も見てきたので確信的なことである。
合唱指導ができる教師は教育者として大事な武器を持ったことになる。これ程強い味方は無いのである。恐らく非行やいじめは激減である。
今回の中国コンクールに於いても、その様な光景を目の当たりにした。むしろ麗しくもあった。
合唱活動を通じて、独創性(創造力)、協調性、精神昂揚、などあらゆる効用がはぐくまれる。ステージにすくっと立った生徒達の姿を見てご覧なさい。今どきの・・・などという言葉は失せてしまう。
高等学校部門
今鳥取県の学校音楽は重要視するどころか、軽視の方向に進んでいるとしか思えない。
県内高校では音楽教師が講師で補われている事態に進行している。どうしてだろう。教育への採算性の導入だろうか。こうなっては鳥取県の未来は音楽に留まらず、希望の無い、人材育成もままならない教育県となるだろう。現に音楽だけでは無いが、あらゆる面で教育レベルの低下と人材育成の遅れが目立ちだした。例えば企業への人材供給がままならないので、在来企業そして誘致企業の人材確保に支障を来している。これはすべからく教育と人材育成の停滞を意味している。小さな県でやるべき最重要課題は教育と人材育成である。
かっての名門校も消え入らんばかり、或いは一校だけでは成り立たないため、三校合同で合唱団を組んで出ている。これはこれで褒めてやりたいが、何故かっての名門校を含めて合唱音楽が軽視されているのか。一体校長以下の学校管理者は如何様な考えでいるのか返答して欲しい。
さらにその上の教育委員会はどうなのか。大阪橋本市長が教育委員会不要論を唱えているが、これには一理ある。委員会がほとんど機能せず、その事務局の長である教育長が実権を握っていることには大いに改組の必要性を感じている。以前から思っていることだが、極論すれば教育の低迷が有るとすれば、その根源は教育委員会に有りと思っている。
かって島根県の有る先生との会話。当時は鳥取西高校はレベルが高く、追いつけ追い越せが合い言葉だった。その努力の一つ、島根大学のある教授が指導者の育成に力を入れ、指導者を沢山送り出し、学校への人材供給を行った。それがやがて開花し、合唱県となって全国レベルを未だに維持している。現在では山口県、広島県のレベルが勢いよく向上しつつ有り、岡山県も侮れないほどにレベルが向上しつつある。
ひとり鳥取県が置いてきぼりで良いのだろうか。
まとめ
そうした厳しい環境下でこの度の中学校、高等学校の活躍健闘は讃えて然るべきものだ。
子どもたちの将来への影響も少なくは無いであろうし、合唱力向上のための方策を講じれば、他県への接近も可能である。
今回のような中国大会、或いは各県の大会などに教育関係者は大いに出掛けるべきである。言われなければ出掛けられないなら、説得しましょう。招待状を出しましょう。
最近の傾向として、私立学校が頭角を現している。当然レベルも向上し、もう少しで他県に追いつき、追い越せという間近にいることが救いである。これは何故なのか。一つの答えは指導者である。そこの指導者のことだけで無く、隣の島根県の指導者の指導を受けた効果なのであろうか。要するに指導の善し悪しが結果に表れると言う現実である。
事の重要性を認識することから始まって、教育界のみならず行政と我々を含めた県民の意識改革と努力無くして、事は成らない。